謎のホームレス歌人を追う! 『ホームレス歌人のいた冬』

ホームレス歌人のいた冬

  • 書名:『ホームレス歌人のいた冬』
  • 著者:三山喬
  • ISBN:978-4167838966
  • 刊行日:2013/12/04
  • 価格:610円(税抜)
  • 発行:文藝春秋
  • ページ数:276
  • 形態:文庫

ちょうど読む本が無くなったので職場の近くの山下書店に入った。

渋谷にある山下書店は24時間営業をしていて、入ったのは通勤前の朝8時である。

いつも本屋に入ると文庫棚の新刊コーナーに行き、いい本はないかと探すのだが、今回はあまりピンと来るのがなかったので文庫棚を一通り見てからもう一度新刊コーナーに戻ってきた。

今日はやめようかなと思ったときに「ホームレス」の文字が目に入った。

私は常々「獄中記」に外れは無い!と思っている。

何でかと言うと、食べ物の話がとにかくグっとくるのだ。

牢獄に入っている時の楽しみと言えば食事くらいのものであり、ホトンドの人間は食べ物が好きである。

だから、刑務所で語られる食べ物の話はとにかくグッと迫ってくるのだ。

そして獄中記の次にはずれがないと思っているのが、飢餓線上をさまよう話である。

これもお話の中の大半を占めるのが食べ物の話となり、やはりグッと迫ってくるのである。

本屋に入ると獄中記に関連するワードと飢餓線上をさまようワードに私の目は反応するようになっているのだ。

だから「ホームレス」の文字が目に入り、頭の中で飢餓線上をさまようイメージが浮かび、すぐにレジに持って行った。

2008年の12月、朝日新聞の短歌のコーナーに異色の短歌が載る、何が異色かと言うと住所欄に「ホームレス」と書かれていたのである・・・

この短歌の投稿者は公田耕一と言い、それから9ヶ月あまりの間、朝日新聞の短歌コーナーに作品が載り続け、短歌愛好者の間で話題となるのである。

そして初めて投稿が載って1年を待たずして公田耕一は忽然と姿を消すのである。

その公田耕一を追ったのが今回紹介する『ホームレス歌人のいた冬』である。

著者は50歳を控えた南米帰りのフリーライターであり、フリーライター稼業をもうすぐ廃業しようと考えている。

と言っても50歳近くので再就職は難しく、どうしようか・・・悩む日々。

そしてそのフリーライター稼業の最後の仕事になるかもしれないと感じながら?公田耕一を探す「旅」に出発するのである。

公田耕一がいたと思われるのは横浜の寿町、日本3大ドヤ街のうちのひとつである。

ホームレスを体験するために野宿をしたり、ドヤに泊まったりして公田耕一が何を感じていたのかを筆者三山は探っていく。

そして公田耕一は見つかったのであろうか・・・

結末は読んでのお楽しみだが、公田耕一を探す旅は目的とは違うものを探し当てることになるとだけ言っておこう。

さわやかな結末ではない、でもズッシリと何かが深く心に落ちてくる読後感であった。

『頭医者』と聞いて昔の探偵モノだと思ったけど

『頭医者』加賀乙彦 中公文庫

  • 書名:『頭医者』
  • 著者:加賀乙彦
  • ISBN:978-4122020283
  • 刊行日:1993/09
  • 価格:-
  • 発行:中央公論社
  • ページ数:695
  • 形態:文庫

今年(2013年)の夏に河辺に住む友人の家に行き、その近くのブックスーパーイトウで井上靖の『四角な船』をついに見つけた話を以前書いた(→世界で4度目のやっと逢えたね)。

その時の友人(ここに書いている[ホシザキテツロウ])に本を数冊もらったのだが、その中の一冊が『頭医者』(あたまいしゃ)であった。

タイトルと表紙から探偵モノ?かなと思った。

犯人の頭の中を探る医者のような探偵が出てくるのでは?と思ったのだ。

しかし本を開いてみると、大学を卒業して精神科の医者になった青年(著者がモデル)の青春モノであったのだ。

T大の付属病院で働き、千葉の私立病院でアルバイトをし、東京拘置所に勤め、パリに留学する中で主人公が出会う奇人変人たちが大暴れする。

『頭医者』という題名は著者が精神科医に付けた名前である。いまいちなじみのないジャンルなのでわかりやすい名前がないかと考えたようだ。

青春モノは椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』が今まで読んだ中では最高峰だと思っているがそれに迫る面白さであった。

ついに開いてしまった禁断の扉~Webで読む無料漫画について~本との出会い

yjimage最近、Yahoo!のトップページに、漫画を無料で読めるコンテンツが毎日更新されていて、それを時々楽しんでいる。

今年からスマートフォンを買ったので、ついつい通勤中の電車内でネットを眺める時間が増え、その合間に、「無料でコミック毎日配信中(こんなコピーだったかは定かではないが)」というコピーを発見し、ついついそれに釣られ、見たのがきっかけだった。

今更新中なのは、『ジョジョの奇妙な冒険』『デス・ノート』『花より男子』の3つ。ちなみに僕が読んでいるのは『ジョジョの奇妙な冒険』である。

僕からすると、『ジョジョの奇妙な冒険』とは、「ついに出会ってしまったか」、というちょっとした感慨深い想いがある。というのも、読む機会は今まで沢山あったにもかかわらず、読まずにきた。そんな本だからである。

元々、漫画をそんなに読む方ではなかったし、どこかで漫画なんか読むのは時間の無駄だよなあと思うところが昔からあった。(小学校の頃の教育方針が漫画を買ってはいけない、というものだった)でも漫画だって面白いものは面白いと気づいてからはよくよく読むようになった。それに気づけたのは、学生の頃だった。

僕が学生時代の頃は、ちょうど、チェーンの大型古書店が流行りだしたときで、何より安価で手に入るし、宝探しをしているような気分になれるのが楽しくて、暇があればなんとなく、ブックスーパーいとうやブックステーション、BOOK・OFF、古本市場などによく通っていた。

そこで、今まで友人に薦められながらも読むことがなかった漫画に触れることになる。前述のように、自分の家庭環境が漫画を買ってまで読むような雰囲気(漫画は時間の無駄という雰囲気?)でなかったのも漫画に触れない原因のひとつだったが、そんなある意味抑圧されていた僕の漫画への購買意欲は、大型古書店で徐々に発揮されていく。

ちなみに、一度人の手に触れている本、古本というのは、色々な意味でどこかその買主にとって魅力があったものに違いないから、今は売り飛ばされて値段を下げられて本棚に甘んじている本なのかもしれないが、その本の内容に期待に胸膨らませた人がいるという過去を持っているはず・・・それにドキドキするのだ。

そう思うと、どれもこれも見返せば本当はいい本ばかりなのかもしれない、と僕は胸躍らせたものだった。

しかし、そんな学生時代の僕にも結局読まれなかった漫画のひとつ、それが実は『ジョジョの奇妙な冒険』であった。

友人にそのよく分からない不思議な世界やスタンドという特殊な技?などについて、魅力を語られたが、まずどうも、その漫画の絵が気持ち悪くて受け入れられない。設定もふざけている。登場人物の名前なんて、読者を馬鹿にしてるようなものばかりに思えた。

そんな思い込みが、古書店で手には取ってみたも中身を開くまでにはいたらない、そんな日々が続き、次第に縁遠くなり、そしていつか忘れ去られていったのであった。

そんな出会わずにいた僕と『ジョジョ』。それがスマートフォンでいとも簡単に出会ってしまったのである。

今はこんな風にスマホで漫画を気軽に読めるなんて普通かもしれないが、それを自分が楽しんでいるなんて。まだまだ大型古書店時代を忘れられない自分にしてみれば、本当に驚くことばかりだ。ネットもそうだが、まずその漫画を読めるアプリ?の仕組みから理解できないのだから。

読んでいて、後でデータ使用容量やら請求やらその他いろいろな大変なことが身に降りかからないか、もしかして自分はネットの甘い罠に陥っているんじゃなかろうかとふと思う。最近では特に必要最低限のことでしかネットに触れて調べたりしない生活のせいか、頭のどこかで不安がりながらも恐る恐る利用している感じだ。

まずあれほど気持ち悪がっていたはずの『ジョジョ』を読んでいる自分がちょっと怖い。ネットの甘い罠。それは手軽さと中毒性を以って、僕に『ジョジョ』を読ませている。カラフルな絵で僕に画面の「今すぐ読む」ボタンをクリックさせ、確かな物語の展開と世界観でグイグイ僕を不思議な世界へと引き込んでくる。

こんな甘い罠を仕掛け、禁断の扉を開かせた仕掛け人は誰なのだろうか。

『ジョジョの奇妙な冒険』と調べれば、たぶん有名な少年漫画なのでいろいろと分かると思うので内容紹介はしない。だが、一歩間違えば、何十年ももしくは一生出会わないこともあるのが、たぶん本との出会いというものなのだ。

今更新されているのは、2巻目の途中くらいまで。まだまだ先は長い。

そんな本との出会いの多様化にしみじみしながら、ジョジョの面白さに日々嘆息する毎日なのであります。

いつ片付くのか、長い長いこの道のり 『山川 世界史総合図録』

山川世界史総合図録

  • 書名:『山川 世界史総合図録』
  • 著者:成瀬治、佐藤次高、木村靖二、岸本美緒、桑島良平
  • ISBN:978-4634040212
  • 刊行日:1994/01
  • 価格:781円(税抜)
  • 発行:山川出版社
  • ページ数:212
  • 形態:横長大型本?

今年家を買った。

と言っても、まだ土地しか買っておらず、家も完成していない。完成は来年2014年の3月の予定だ。

私は今三鷹市内の北部に住んでいるのだが、新しい家は市内の南部となる。私の母も市内北部に住んでいるのだが、定年を迎え一人きりで広い家に暮らしている。私と二人暮らし用に借りていた家なので、広くて家賃も高い。

今私が住んでいる家からは近いが私が新居に引っ越すと、今では徒歩15分ほどの距離が徒歩40分ほどの距離になる。

定年後も働いてはいるが、いつまでも働けるわけではなく、家賃などは一番の無駄遣いではないか?そもそもうちにはお金はない。母親を助けないわけではないが、ある程度無駄遣いは控え自分の老後に備えてほしいのだ。

なので息子としては老人一人が住むそれなりの小ささの家に引っ越してほしいのだが、母の家の中はモノだらけで、引越しはかなり大変である。そもそも引越しの話自体、母は前向きではないようなのだが・・・

モノだらけの一因を作っているのが家を出た息子の部屋である。つまり私の部屋だ。下記の画像は今から半年くらい前のものである、部屋の全体像が見えないので散らかり具合がわかりにくいが本だらけで足の踏み場がない。

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今私が住んでいる家は狭いのでホントウに必要なものしか持ってきておらず、捨てるかどうか悩むものは全部母の家の自分の部屋に放って置いてある。

で、今回家を買うのでしかるべきものは新しい家に持って行き、そしてそれ以外のホトンドのモノは捨ててしまい、母の引越しへのやる気を促進させようという目論見なのである。

11月のはじめより毎週末の休日に実家に行き片付けをしているが、いっこうに片付かない。

思い出の品などが多く、フムフムと見入ってしまうのだ。

山川の世界史総合図録は、おそらく浪人時代に買ったものだ。私は史学科を受けるつもりであり、受験の選択科目は世界史だったので予備校でテキストと一緒に買わされたのであろう。

この図録は面白く、受験勉強中に読みふけってしまうこともしばしば。試験に出るはずのないとこも覚えて無駄な時間を使っていたわけである。

がさごそと自分の机をあさっていると懐かしい手紙やら、自分自身の書いたメモなども出てくる。小学校時代の友人のものであろうノートなども出てくる。

ああ、懐かしい。

自分の通知表なども出てくる、先生の書いている評価を見ると、「本人は自信がないようですが、自信を持って準備して行えばちゃんとできる子」などと書かれていて今と言われていることが変わらんじゃん!と思ったりして・・・

まあ作業が一向に進まないのである。

半年前の写真を載せたが、その状態と今はホトンド変わっていない。

成果と言えば、出てきたプラモデルを同僚にあげ、その同僚が近所の子供にあげて、その子供が非常に喜んでいた、ということくらいで、なんも進んでいない。

というかモノが捨てられない。

などと考えていると懐かしいテレホンカードなどが出てきて、あ、世界の名車シリーズ!オレンジカードも出てきた!あずさって昔こんな色だったよなカッケー、これはのぞみ!などとホントウに前に進まない。

あ、これは今の会社に入った直後に先輩とやり取りをしていたくだらないポストイットではないか!

私は自分のデスクのPCの筐体にやらなきゃいけないことをポストイット書いて貼っていた。

筐体一面にズラリとポストイットが並んでいて、壮観であった。それに目を付けた当時の先輩が私が帰った後にくだらないことを書いて貼っていたのだ。

下記の左のものは福本伸行の人気漫画『アカギ』のセリフらしい、これは先輩が書いた。

そいで、右が私の返答である。

「無毛がハゲを光らせる」、確かに。うまい、オレ!

無念が願いを光らせる アカギ 無毛がハゲを光らせる

次のは、

「じっと手を見る 啄木」に対して

「そっと毛を剃る 毛ガニ・富山」

である。

これは自分で書いて、オレ、駄洒落うまいななどと一人で悦に入っていた。ってどうでもいい話だ。

じっと手を見る 啄木 そっと毛をそる 毛ガニ・富山

こんなものの写真を撮っている場合ではない。

で、片付けはいつ終わるのか。

妻には2ヶ月で終わる!と言ったが年が変わっても何も進んでいないかもしれない。なんて妻には言えない。

頑張れ!オレ!自信持て!

はたらけど、はたらけど

なお、我が部屋片付かざり

ぢっと手を見る

と、ホコリだらけ、ハクションッ!

とにかく電車に乗りたかったのだ 『ヨーロッパ鉄道旅ってクセになる! 国境を陸路で越えて10カ国』

ヨーロッパ鉄道旅ってクセになる! 国境を陸路で越えて10カ国

  • 書名:『ヨーロッパ鉄道旅ってクセになる! 国境を陸路で越えて10カ国』
  • 著者:吉田友和
  • ISBN:978-4344420526
  • 刊行日:2013/07/15
  • 価格:560円(税込)
  • 発行:幻冬舎
  • 形態:文庫

筆者は脱サラをしてライターとなった人のようで、旅モノの著作が数冊ある。

本作はユーロ圏であれば期間限定で電車乗り放題のパスを持ってフランス、イタリア、スイス、ドイツ、オランダ、ベルギー、イギリス、アイルランドなどを旅するというものである。

先日金沢の友人が結婚式を挙げるとのことで、出席することになった。

電車で行こうと思ったのだが、東京駅から越後湯沢まで上越新幹線で行き、そこから特急で2時間半くらいで計4時間弱かかる。

さらに片道で12,000円ほどかかることがわかった。

私は電車が好きなのでその路線は魅力的だったのだが、ちょいと高い。

そういえばと思い高速バスを調べるとなんと片道4000円程度で行ける事が判明した。

往復で8000円程度で行って帰って来られる。

しかしそれは深夜バスなので、車中泊だけの2泊3日の強行軍ともなる。

少し悩んだがお金の力に負けて、夜行バスを選んだ。

私の他にも一緒に行く友人が2人いたのでその2人を道連れに土曜の夜に新宿へ向かった。

結婚式は金沢駅郊外の式場で日曜の10時から始まる予定、新宿を夜11時くらいに出発して7時半に金沢に着くという按配である。

新宿と高速バスという言葉から、ヨドバシカメラの目の前からか、JRの横っちょからの出発かと思っていたが、さにあらず、甲州街道沿いの雑居ビルがまず受付であった。

新宿駅南口から5分以上歩き、3人でエンヤこらと雑居ビルの3階か4階にあがると、若者だらけ、大学生のサークルといった雰囲気で早くも場違いなのではという気持ちがバンバカ膨らむ。

コンビニで払い込みをした領収証がチケット代わりになるようなのだが、それもしっかり見もせず名前だけ聞いて係りの人はワシントンホテルの近くの乗り場まで行けと指示した。

ワシントンホテル手前の小さなゴルフ屋さんの前が発着場のようになっていて、係りの人が「~~バスはこちらです!」と叫んでいる。

係りの人は他のバス会社の人たちも混じっているのか4、5人いた。

私たちは自分たちの乗るバスの名前を叫んでいる係りの人に声をかけてここで大丈夫ですか?と聞いたところそうだとのことで待った。

まわりを見るとディズニーランド帰りの若い女の子が多数、さらに大学生前後の実家に帰るような男性が数人、あとおじさん、おばさんが少しいた。

ゴルフ屋は閉まっていて、その軒先を借りている按配なのだが、灯りもともっておらず、さらに小雨が降り出し、不安は募る。

何台か大きなトイレ付きのバスが来たが、われわれのバスではなく、少し遅れて小さなバスが到着して、それがわれわれのバスだということだった。

もちろんトイレは付いていない。

乗降口に座席表があり、そこで自分の座る席を確認するシステム。この時も領収証は見せず、名前さえわかっていればそれでいいという適当なのかシンプルなのかわからないシステムだった。

席は2つの席が並んだものが2列並ぶオーソドックスなものだが、深夜寝ることを考えるとかなり座席幅は狭い。

われわれ3人は不安な気持ちのまま乗り込んだのである。

もう時間が時間なだけにカーテンは全部閉められていて、出発後にすぐに消灯となった・・・

難民の方には失礼だが、難民が国を逃れるためにバスに乗せられている気分になる。

外の風景は見えず、運転席のほうのカーテンも閉められている。

われわれはどこに連れて行かれるのだ?という疑問を抱きながらうつらうつらするが、寝られない・・・

隣の夜行バス慣れした男性は、首に付ける膨らます枕を使いグースカと高いびき。

何回かサービスエリアに止まったが、それが唯一のリフレッシュ方法で、着くたびにわれわれ3人は降りてトイレに行っていた。

でうつらうつらしているいるうちにやっとバスは富山を過ぎ、そして高岡を過ぎ、ついに金沢駅に着いた!

あー長かった、そして眠い、結婚式に出席できるような体調ではない・・・

友人が金沢駅前のAPAホテルで風呂に入れるということを調べていたので、すぐにホテルに直行して1000円を払い3人で風呂に飛び込んだのである・・・

だが、本番はこれから、風呂から出ると8時半。

腹ごしらえを駅のコーヒー屋さんでパッとすますと、9時。

駅に迎えのバスが来ている時間である。

われわれが到着したのも、APAホテルがあるのも西口で、バスが来るのは東口。

急いで東口のバスまで走るとすでにバスは来ていて先客が乗っていた。

先客は友人家族でその3人家族は飛行機で優雅に前日入りして、新郎の案内で前日に金沢観光などを楽しんだようである。

うらやましいと言うか、別世界の出来事のようだ。

彼らから前日のことなどを聞きつつバスは走り、式場へ。

われわれ3人は普段着のままで来ていて、スーツに着替えなくてはならない。

そのためにスーツも持ってきている。

だから式場に着替え部屋の予約を入れておいた。

式場に着くや否やすぐに着替え部屋に行きスーツに着替える。

そしてフラフラのままで結婚式に突入したのである・・・

結婚式自体は料理もおいしく楽しかった。

友人も幸せそうでよかった。

二次会もあるようだったのだが、その情報を聞いていなかったので、一緒に行った友人とは誘われたら行こう、誘われていなかったら夜行バスまで金沢観光していよう、金かかるしな。

という話をしていたのだが、新郎は私らは二次会に出席するもんだと思っていたらしく、じゃあ出席しようじゃないかとなった。

式が終わったのが午後1時くらいで着替えをして式場を出て金沢駅に送ってもらって着いたのが午後2時。

前乗り3人家族はホテルで休むというので、私ら3人はというか私は北鉄線に乗ることしにした!とにかく電車に乗りたかったのだ、さらにそれがローカルな私鉄だったらなおよしと思っていたのだが、駅まで送ってくれた運転手さんに聞くと北鉄浅野川線という短いローカル線が金沢駅から出ているという情報をもらっていた。

そして北鉄浅野川線は金沢駅の地下から出ているというので行ってみると、見覚えのある車両がホームに止まっていた・・・

3人で切符を買い(2人も引きづられるようにして結局付いてきた)、電車に乗ると、やはり見覚えがあったのは間違いなかった。

それは井の頭線の昔の車両だったのである、車内には井の頭線時代の写真がいくつもペタペタと貼られていて、井の頭線ユーザーである3人は大いにはしゃいだのである。

浅野川線はおそらく10キロない距離を走るかなり短い線で、単線であった。

始発から終点までは10駅くらいであったろうか。

のどかな風景が車窓を流れ気持ちがいい、雨だけど。

終点は内灘という駅で、少し歩くと日本海まで行けるというので歩いてみることに。

10分くらい歩くと、「鉄板道路」という朝鮮戦争に関係のある史跡のような道路があり、フムフムと説明板を読む。

駅から歩いてきた道も鉄板道路だったらしい、戦争時にここから朝鮮半島に物資を運んでいたのだろうか。

そしてそこを抜けると、海が見えてきた。小雨が降り続いていた日だったのだが、海岸に出るとさらに風が強くなり、寒い・・・

さらにこの海岸は海岸の幅が大きくて波打ち際までかなり歩くことになった。3人は意地になって波打ち際まで行って写真を撮った。

曇りの日本海をバックに。

そして冷えた体を海岸近くにあるショッピングモール内の学食のような食堂でスープを飲んで暖めて駅まで戻ったのである。

ああ疲れた。

疲れきって金沢駅に着くと、友人の1人はこれから電車で帰るので2人で見送る。

1万以上かけて東京まで今日中に東京に帰るのだ、フン、無駄遣いだ!

と思いながらもうらやましい。

2人は金沢駅に見捨てられていくような気分でそいつを見送り、二次会までまだ時間があるのでお茶でもしようと朝に入ったコーヒー屋さんにまた入ったのである。

二次会の場所は駅から歩くと30分ほどのところらしく、われわれ2人はこの旅一番の贅沢、タクシーを使って会場まで行った。

会場は普通のカフェバーのようなところで、そこで7時から2時間ほどまた友人を祝った。そこには優雅な前乗り3人家族もいたが、われわれ貧乏2人組は眠気と疲れでフラフラであった・・・

二次会が終わったのは8時過ぎ。

金沢駅まで歩こうと思っていたが、寒さと疲れでまたタクシーに乗り駅へ。

そしてバスの時間まで少しあるのでまたまたさっきのコーヒー屋へ・・・

とにかく疲れた。

ホントに疲れた。

10時半にバスが到着・・・

帰りのバスは往路のバスよりも大きくわれわれの位置は最後部の端っこ、さらに席も大きい・・・

安心した2人の旅人はほぼ起きることもなく東京まで眠って行ったのである。

バスを降ろされたのはなんと、新宿中央公園近く。

駅まで10分ほどヘロヘロになりながら歩く。

寒いし眠い。

そして2人は共に朝から仕事。

急いで家に帰り、風呂に入り、仕事へ行き・・・

ホントウに大変だった。

それに比べるとこのヨーロッパ電車旅は快適なことこのうえなさそうである。

私ら2人は今度金沢行くときは電車にしようと誓ったのである。

もうすぐ北陸新幹線も通るらしいしね。

サンデーサイレンス旋風の胎動 『競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で』

競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で

  • 書名:『競馬漂流記 では、また、世界のどこかの観客席で』
  • 著者:高橋源一郎
  • ISBN:978-4087451191
  • 刊行日:2013/09/20
  • 価格:720円(税抜)
  • 発行:集英社
  • 形態:文庫

元本は1996年12月刊行となっているので、ここ10年くらいの競馬界の変化については触れられていないが、サンデーサイレンスという化け物が登場する直前の日本競馬界とその周辺の変化の兆しと胎動みたいなものが書かれていて楽しい。

高橋源一郎は世界中の競馬場を訪れてエプソムダービー、凱旋門賞、ケンタッキーダービー、ドバイワールドカップなど見まくる。競馬ファンから見ると非常にうらやましい。

だが出色はアハルテケ(汗血馬)のレースをトルクメニスタンまで見に行くくだりであろう。

アハルテケは黄金の馬と言われているのだが、実際に馬が黄金に輝く瞬間を目撃するのだ・・・

高橋源一郎は競馬関連の雑誌などに登場していたので競馬関係の人だと思っていたが、どうも小説家らしく色々と小説もだしているらしいが、まだ読んだ事がない。

あとがきを読んでビックリしたのだが、著者は1995年あたりから競馬場にはほとんど行っていないというのだ。

1995年はサンデーサイレンスの子供が勝ちまくるサンデーサイレンス旋風が吹き荒れて、日本競馬に革命が起こった年であり、それ以降数々のサンデーサイレンスの血が入ったスーパーホースが現れている。

フジキセキ、スペシャルウィーク、サイレンススズカ、ステイゴールド、アグネスタキオン、ディープインパクト、アドマイヤムーン、ハーツクライ、シーザリオ、デルタブルー ス、ダイワスカーレット、ブエナビスタ、アパパネ、ヴィクトワールピサ、ジェンティルドンナ、オルフェーヴルなど近年のスーパーホースのほとんどにサンデーサイレンスの血が入っている。

今では日本の馬が海外でG1レースを勝つのは珍しいことではなくなったし、凱旋門賞ももうすぐ勝てそうだ。

その成功を知っているのか知らないのかわからないが、この状況を知って高橋源一郎はどう思うのだろか。

世界で4度目のやっと逢えたね 『四角な船』

四角な船 著者:井上靖 新潮社文庫

  • 書名:『四角な船』
  • 著者:井上靖
  • ISBN:978-4101063232
  • 刊行日:1977/12
  • 価格:480円(税抜)
  • 発行:新潮社
  • 形態:文庫

やっと逢えたね。

大学時代の友人に薦められて以来、ずーっと探していた。

今はなき吉祥寺のブックステーション、今もあるよみたや、ブックオフ、神田の古書店、などなど。古本屋に入るたびに著者名のあいうえお順に並ぶ本棚の本を見上げ、「井上ひさし」の次にあるはずの「井上靖」コーナーを探した。

あるのは大体『敦煌』や『額田女王』であり、『四角な船』は見つからなかった。

その友人は「何でないの?僕はよく古本屋で見つけるけど」などと言っていたが、なぜか会う機会がずっとなかった。

なんで読みたかったかと言うとノアの方舟の話だと聞いていたからだ。

洪水伝説は世界のあちこちにあるようだが、洪水を船に乗って生き延びるという発想というかアイディアがとにかく気になったのである。

当時私は大学で西洋史を学んでいて、指導教授の専門は西アジア、つまりメソポタミア周辺であり、昔は洪水を繰り返していた地域である。

教授が授業中にたしかに伝説の元になるような洪水はあったはずである、みたいな事を言っていた。

大津波か大雨が大地を襲う、そして選ばれた人と動物たちが船に乗り込み、先の見えない航海に出発する。

目的地となる陸地があるかどうかわからない、絶望的だ。

しかし水は徐々に引いていき、舟は山の頂上に乗っかっていることに気づく・・・

今年の5月に河辺に引っ越して結婚したその友人から近くのブックスーパーいとうに『四角な船』が売られているとのメールが来た。

彼のメールには「買っておこうか?」と書かれていたが断った。

本とは出会い方が大切。

私が行った時になかったら縁がなかったのだ。それも古本探しの楽しみ。

夏の終わり、河辺の彼の家に遊びに行き、奥さんに挨拶してお昼ご飯のカレーをごちそうになって談笑をした後に、彼とそのブックスーパーいとうへ行った。

子供達向けのカードコーナーやゲームコーナーの奥に文庫コーナーに、井上靖のコーナーがある・・・そしてあった!!!

「やっと逢えたね」、辻仁成がパリで初めて中山美穂に会った時に言った言葉のようであり、2人はそのまま結婚した。

私も妻と息子に初めて会った時そう思った(言った)。

だからこの『四角な船』に対して言った「やっと逢えたね」は世界で4番目で言われたセリフということになる。

このお話は地球を大洪水が襲い、方舟に乗った人たちが苦労する話だと思っていた。

苦労の連続の航海の果てにどこに行き着くのか?そんな小説だと思っていた。

しかし、読んでみるとなかなか洪水が始まらない。船作りも一向に進まない・・・

そして方舟の製作依頼をした方舟のオーナーはなかなか姿を現さず、結局世界は終わらずにオーナーの死という形で物語は終わる。

面白い話ではあった、しかし私の想像していた手に汗握る人類対洪水の戦いは見られなかった。

しかしこんな「やっと逢えたね」もあるのだ。

『夢はターフを駆けめぐる』 これスゲーいい名前だなぁ

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  • 書名:『夢はターフを駆けめぐる』(13巻まで出ている?)
  • 著者:狩野洋一、かなざわいっせい、他多数
  • ISBN:978-4877190415
  • 刊行日:1993/09
  • 出版:光栄
  • 価格:不明

こんばんは。

世の中には競馬をする人間としない人間の2通りしかしない、と言ったのは誰だったでしょうか。

今ではコーエイテクモゲームスと名を変えたかつての光栄が出していた競走馬に関するエピソードをまとめたのがこの本です。

Amazonで検索しても画像がなく、Google検索でもほとんど出てこないのですが当時は本屋で結構見かけたような気がするのですが今では忘れ去られている本のひとつですね。

アスキーからは競馬ゲームの傑作『ダービースタリオン』シリーズの2、3が発売。

同じく、光栄からは『ウィニングポスト』シリーズの第1作目が発売されたのがこれくらいの時期でした。

競馬界はオグリキャップ、タマモクロス、イナリワン、スーパークリークのなどのスターホースが引退して、ナリタブライアンという新世代のモンスターが現れようとしていた時期です。

1994年にナリタブライアンは牡馬三冠と有馬記念を制覇、さらにその年にデビューしたアメリカ産の暴れ馬サンデーサイレンスの子供たちが日本競馬の歴史を塗り替えていくちょうどターニングポイントの時期です。

サンデーサイレンスという言葉を日本の競馬ファンに投げかけると、大体30分くらいはいろんな話を聞かせてくれるので知人に競馬ファンがいて話題に困ったときはその話をふってみましょう。

サンデーサイレンスはそれくらいすごい馬なのですが、今回サンデーサイレンスの話をしてしまうと話がとめどなく続いてしまうので話を戻しましょう。

オグリキャップの競馬ブームがいったん落ち着き、今度はゲームを媒介にした競馬ブームが起ころうとしていたのですが、それに勢いをつけようとして光栄が出したのがこの本です。

私はちょうど中学生、ゲーム大好きなお年頃です。

ダービースタリオンもウィニングポストもやり始めていて、競馬に非常な興味を持つようにもなっていました。

そんな時にこの本と出会います。

狩野洋一やかなざわいっせい(競馬ファンでないとわからない名前でしょうが・・・)という競馬好きのライター達がそれぞれの思い入れのある名馬を思い入れたっぷりに紹介していて、それを読んだ当時中学生の私はまさに夢をターフに駆けめぐらせたわけであります。

一巻ごとにテーマが決められていて、悲劇の名馬、追い込み馬、ダービー馬、などをまとめて紹介していました。

私が好きだったのは「逃げ馬」の巻でした。

(何巻目だったかの情報は残念ながらAmazonでは得られず・・・)

キーストン、トキノミノル、カブラヤオー、マルゼンスキー、トウショウボイーイ、アイネスフウジン、ミホノブルボン、サクラシンゲキ、ツインターボなど、競馬ファンなら一度は聞いたことのある名馬たちのお話に私は胸をワクワクさせました。

競走馬のレースの仕方は大きく分けて4つあります。

最後方から進んで、最後の直線に賭ける「追い込み」。

中団の後ろ辺りにとりついて、最終コーナー辺りから徐々に前に進出する「差し」。

中団の前目にとりついて、最終コーナーから先頭を奪いに行く「先行」。

そして最初から先頭を行く「逃げ」。

医者は心臓が悪い人には「追い込み馬」を買えと薦めるようです。

確かにそのとおりで、追い込み馬を買ったら最後の直線だけドキドキすればいいのですが、「逃げ馬」を買った場合、まずスタートがうまく行くか、そもそも先頭で走り続けられるか、最後の直線まで持つか、そしてゴールまで先頭でいられるか、とずーっとドキドキしっぱなしで心臓に悪いことこのうえありません。

でもこのずーっとドキドキが続いて逃げ切った時のしてやったり感というのはたまらないものがあります。

最近の馬ではダイワメジャーとダイワスカーレットというすごい逃げ馬兄妹がいたのですが、この2頭が私は大好きでした。

特に妹のダイワスカーレットの3歳時(2007年)のチューリップ賞と桜花賞のレースは忘れられません。

ダイワスカーレットにはウオッカという好敵手がいました。

3歳の牝馬(メスの馬、ひんばと読みます)は、春の桜花賞、オークス、秋の秋華賞という大レースの制覇を目指して走ります。

その第一戦目となるのが桜花賞のトライアルレースのチューリップ賞です。

桜花賞と同じ阪神の芝1600メートルで行われるレースは桜花賞に直結する最重要トライアルレースです。

四位洋文の乗る前年の2歳牝馬チャンピオンのウオッカ、対するは地方の笠松競馬場で天才の名を欲しいままにして中央デビュー前のオグリキャップにも乗っていた生ける伝説のジョッキー安藤勝己が乗るダイワスカーレット、ウオッカとは違い裏街道を進んで来ましたが、兄のダイワメジャーが前年にG1を2勝していて注目を浴びていました。

ファンが出した結論は、ウオッカの単勝オッズが1.4倍の1番人気、スカーレットは2.8倍の2番人気、3番手のローブデコルテは大きく離れた14.6倍。

オッズは低ければ低いほど、人気が高いことを示します。

つまりファンはこのレースはウオッカとスカーレットの2強対決だと判断したのです。

レースはスカーレットが逃げて始まりました。ウオッカはそれを見ながら中団前目でレースを進めます。

直線に入るとスカーレットが脚を伸ばして後続を引き離しにかかりますが、ウオッカもそれを黙っては見てません。

ウオッカが後ろに迫ってきたとき、安藤勝己がちらりと後ろを見てスカーレットの勢いをフワリとゆるめました(という風に見えました)、そしてウオッカはスカーレットをクビ差交わして1着、スカーレットは2着となりましたが、私には安藤勝己がウオッカの強さがどれくらいなのかを試したように見えました。

2頭が後続に付けた差は6馬身(馬6頭分の差、タイムだと1秒ほど)、2頭だけ別次元の競馬をしました。

私は桜花賞はダイワスカーレットがウオッカに勝つと確信しました。

そして迎えた桜花賞、1番人気はウオッカ、スカーレットは3番人気に落ちました。

桜花賞で不利とされる大外枠(競馬のコースは円形をしているので外を回る馬は距離を多く走らされるので一般的に不利と考えられている)も嫌われたのでしょう。

私はスカーレットが1着、ウオッカが2着に来る馬券を買いました。

レースは他に飛ばす馬がいたのでスカーレットは3番手に待機、ウオッカはさらに後ろでスカーレットを狙います。

直線に入るとスカーレット先頭、そして、ウオッカがそこに襲い掛かります。

みんなウオッカが交わすかと思ったでしょうが、そうは問屋が卸しません。

チューリップ賞でウオッカとスカーレットの実力を比べることができた安藤勝己はさらにスカーレットにギアアップを命じます。

すると、スカーレットがウオッカを突き放し、ゴール。

会心の勝利、私も会心の馬券でした。

1番びっくりしたのはウオッカに乗っていた四位洋文でしょう。

この後ウオッカは牡馬(オスの馬、ぼばと読む)のダービーに挑戦して勝利し、ダイワスカーレットは牝馬のオークスを目指しますが熱を出して回避、2頭はまた秋に再対決することになります。

そして2頭の最強牝馬の戦いが始まるのですが・・・

話が長くなるので今回はここまでにしましょう。

全集のお話1~全巻集めたい! ドラゴンボールの記憶

著者:鳥山明 出版:集英社

こんにちは。久々の更新です。

「全集」、なんて甘美な響き。

好きな作家のすべてがそこに詰まっているのだと錯覚してしまいます。

いえ、錯覚ではありません。

ホントに詰まっているのです。

出ているのだから、全巻集めたいという人間の欲求をくすぐるのも全集の魔力でありましょうか。

今回は作家の全集ではなく、まず私が初めて集めた本(マンガ)のお話です。

今はなき吉祥寺ロンロン(2013年現在はブックファーストに・・・)にあった弘栄堂で、ドラゴンボールの単行本第1巻を見つけたのは小学校1年生くらいだったでしょうか。

と思って調べてみたら初版の発売が1985年の9月になっているので1980年生まれの私はまだ5歳の年齢。

小学校ではなく保育園生だったことになります。

その時に字が読めたかどうかの記憶はありませんが、母さんに買ってと言って買ってもらいました。

我が家は父が漫画家を目指していた(本気だったかどうかはわかりませんが手塚治虫ドンピシャのマンガ黄金期世代なので漫画家になるという夢は一般的だったんでしょう)影響か、すでに父がアラレちゃんを買っていて全巻そろっていたような気がします。

あと子供にはよくわからないマンガも並んでいました。

たぶんガロ系のマンガだったんでしょう。

ギャグマンガの『らんぽう』も並んでいました。

で、ドラゴンボール、読んでみたら楽しい楽しい。さらにはまったのが我が父、アラレちゃんにすでに注目していたところに息子が買ってきた鳥山明の新作に反応しないはずはありません。

なのでドラゴンボールは父と息子の共有物のような感じでドンドコと蓄積されていったのです。

ある時は私が母に買ってもらい、ある時は父が本屋で見つけて買ってきて、ある時は父と2人で本屋で見つけたりという事が続けられていったのです。

ドラゴンボールはまず、少年ジャンプで一番新しい話が展開され、その次にアニメ、最後に単行本という順だったと思います。

最初はアニメの話が一番遅れていて、途中でアニメが単行本を抜く瞬間があった記憶があるのですが、まあとにかくそのような順番で公開されて行ったわけです。

毎週水曜日は父が早く帰ってくる日で、テレビでドラゴンボールも放映されていました。

私が夕飯を食べ終わったくらいに、父が帰ってきて夕飯を食べ始める8時(7時だったかも)にアニメのドラゴンボールが放映されます。

我が家のリビングでは父がご飯を食べながら母と話をし、息子がドラゴンボールを見るという図が展開されていました。

父は単行本が出てから読むのを楽しみにしていたので、話が先行しているアニメ版の事を知ってしまうとつまらなくなってしまうので私にヘッドホンで見るようにと指示をし、私もそれに従ってヘッドホンでアニメを見て、見終わるとニヤニヤしながら父の顔を見て「オレこの先知ってるもんね」と優越感に浸る毎水曜日でした。

水曜日は父がレンタルビデオ屋で何本かビデオを借りてくる日でもあり、その後に『X電車で行こう』とか『王立宇宙軍 オネアミスの翼』とか『未来少年コナン』とかを一緒に見てました。

コナンは私の一番好きな宮崎アニメで、何巻かの続き物だったので毎水曜日のドラゴンボール→コナンのコースが2ヶ月くらい続き、それはそれは楽しい至福のひと時でした。

あと、記憶に強く刻まれているのが『不思議惑星キンザザ』です。

父が借りてきた実写映画の中で1番印象的で1番好きな1本でした。

映画内で「クー」と頬に手をやった後に手を下に広げる挨拶があるのですが、父と私との間でその挨拶が流行りました。

幸せな時代でした。

そして、9時くらいに私が寝た後に父は昔の映画などを見ていたのでしょう。

夜、トイレに起きると白黒の渋い映画を見ていた記憶があります。

黒澤明が多かったように思います。

話が大きくそれそうになったので、ドラゴンボールに戻ります。

私の人生の黄金時代というのはちょうどバブルがはじける前の、小学4年生前後、1990年くらいでした。学校も楽しい、景気もいい、なんだか幸せだったんだな、と今になるとそう思います。

ですが家族の幸せな時間はというのは長くは続きませんでした、1993年の春、私の中学入学と同時に両親が別居。バブル崩壊の影響も大いにあったのでしょうか、その頃の話はいまだに母には詳しく聞けず、なんともよくわかりませんが、その頃は父が家にいると家の中が暗くなっていたので、別居は私にとっては朗報でした。

ドラゴンボールは父の家に置いてきました。

べジータを倒したくらいから、私はドラゴンボールに興味があまり持てなくなり、ドラゴンボールはどうぞ・・・

となったのでしょう。

我が家は三鷹の井の頭4丁目にあったのですが、父はその家に残り、私と母は3丁目に引っ越しました。

父とは週に1回月曜日に会いに行くという約束になりました。

私がドラゴンボールを手放した後も父はドラゴンボールを買い続けていました。

ただ、ドラゴンボールの話をする機会はそのころはほとんどなかったと思います。

昔3人で暮らしていた家でポツンと一人暮らす父の姿とその家のたたずまいは、なんともいえない家族の事情が反映されていて私はホントウになんともいえない気持ちになっていました。

そして、父は井の頭から早稲田に引っ越します。

私が中学2年(1995年)の頃だったと思います。

3人分の家の家賃を払うのがアホらしくなったのでしょう。

早稲田はワンルームのマンションでした。

私は週に1度月曜日に早稲田に行くようになります。

そこでもドラゴンボールはドンドンと積みあがり、遂に完結しました。

調べてみると少年ジャンプでの連載終了が1995年の25号なので、6月くらいに連載終了。

そして1995年の8月に最終巻の42巻が出ます。

もちろん父は42巻を買い、全巻が揃ったのです。

「ドラゴンボール終わったね」みたいな会話をした記憶はありますが、それ以上の話は父とはしてないような気がします。

私と父のドラゴンボールへの熱は黄金時代(1990年くらい)をピークに下がり始め、父も惰性で買っていたのでしょうが、その変なマジメさみたいなものに私は感心していたような気がします。

そして父はその2年後の1997年の10月に急に亡くなりました。

倒れて病院に駆けつけてみると、くも膜下出血とのこと。先生から説明を受け、手術でなんとかなるかもと言っていましたが、助かっても植物人間になってしまうだろうとのこと。

あ、これは死んだんだなと思い涙が出ました・・・

当たり前ですが、父が死ぬのは悲しいのだなと私は思いました。

そしてその4日後に父は亡くなりました。

父は漫画家になりたかったようですが、私が生まれたくらい(1980年くらい?)に塾の経営を始め、私が小学校5年くらい(1989年くらい?)に塾をたたみます、それから40代になると小説家を目指し始めそれも夢破れ、最後には塾の先生として再就職を果たしました。

その再就職が父の晩年でした、晩年の春くらいに就職が決まりました。

「この年で新人研修を受けたりしてるけどすごく楽しいんだ」と私に話していました。

8月には父の就職した塾に夏期講習に行き、父はそこでは事務的な仕事をしていたようなのですが、父の周りに子供たちが集まり冗談を言い合っているのを見て、「やっと天職を見つけた、いや天職に戻ったのだな」と思いました。

若い死でしたが、最後は幸せだったのかなと思います。

父の死後にワンルームマンションに残された膨大な書籍は母の知り合いの古本屋さんに全部引き取ってもらうことになりました。タダで全部持っていく代わりに、買い取りはしないという条件でした。

私はその古本屋さんが来る前に父の部屋に行って、自分の興味のある本とマンガを持って帰ることにしました。

その頃は小説を読んでなかったので、今見たら目の色が変わるような小説があったかもしれませんがその時はよくわかりませんでした。

だから、持って帰ってきたのはマンガ本がほとんどでした。

その中にドラゴンボール全巻もありました。

ドラゴンボール自体への興味は薄れていましたが、父との思い出だからという思いもあったのでしょうか。

そして、時は流れ・・・それから10年後、私は小金が必要になり、ヤフオクでいらないものを売ろうと思い立つのです。

そのいらないものリストの中に私はドラゴンボール全巻を含めました。

父との思い出ですが、42巻売ると5000円以上になると知り、出品します。

すると7000円で落札。

父との思い出は7000円になりました。

そして落札したのは岩手県の方でした。

父の故郷は岩手県、なんだか因縁を感じずにはいられません。

その時には他にも色々出品して計5万くらいの小金を手に入れた記憶がありますが、出品と発送の手間がとにかくかかり、グッタリと疲れた記憶もあります。

そして・・・

次に出会ったのが、と行きたいところですがドラゴンボールと父の話でこんなに長くなるとは思わなかったので次に続きます。

『繁栄』と『世界を変える日に』を読んで転職だ!

繁栄

  • 書名:『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』
  • 原題:”The Rational Optimist”
  • 著者:マット・リドレー
  • 訳者:大田 直子、鍛原 多惠子、柴田 裕之
  • ISBN:978-4-15-050388-8
  • 刊行日:2013/07/10
  • 価格1,197円

世界を変える日に

  • 書名:『世界を変える日に』
  • 原題:”The Testament of Jessie Lamb”
  • 著者:ジェイン・ロジャーズ
  • 訳者:佐田 千織
  • ISBN:978-4-15-011909-6*
  • 刊行日:2013/07/10
  • 価格:945円

久しぶりの更新になります。

本を読んでいないわけではなかったのですが、最近効うつ剤を飲み始めたのでなんだか注意力が散漫というかぽやーっとしていまい、電車の中ではスマホをいじってFacebookとLINEばかりしています。

スマホはぽやーっとしているのにいじれる面白いデバイスなんですね。

で最近やっと読了したのが上記の2冊です。

どちらもハヤカワ文庫です。

数年前からハヤカワ文庫は背が高くなり、本棚に入れにくくなりました。

ハヤカワは文庫であるという大前提をよく考えるよーに。

あと、ハヤカワ文庫だけじゃないですが文庫の値段がバカ高くなっていませんか?奥さん!財布に優しくない!文庫って安くて小さいから好きだったのに・・・

で、本題です。

『繁栄』は人類は労働の「分業」と労働の結果の「交換」によって繁栄をしてきて、さらにその「分業」と「交換」を進めていけばさらに繁栄するのだ!という論調の楽観論の本です。

基本的にテレビやネットで流れるニュースは悲観論が多いですが、なるほどとうなずける部分も多く楽しく読みました。

あと、そうだったか、と思ったのがお金の意味。

お金って昔はお米がお金の代わりをしていたという話を聞いていたのでお金=人間を動かすためのエネルギーと交換できるもの、という感覚だったのですが。

筆者はお金=労働(+結果)だと言っています、確かに。そう言われるとそうですね、コンビニに行ってポッキーを買う。これはポッキー自体にお金を払っているわけですが、ポッキーを作ったことに対してもお金を払っているわけで、さらに、ポッキーの材料を作った人の労働に対してもお金を払っているわけです。

だから、お金はグルグルまわしてみんな働かせろ!と思った次第なのですが、私はのんびり窓際族みたいに定時で上がりたいな、さらにそれで高給で定年まで保障されているような仕事ないでしょうか?

『世界を変える日に』は子供が生まれなくなるウィルスが蔓延してしまった世界。そして、そのウィルスに勝つ解決法が発見されます。それはウイルスに耐性を持った子供を生むことはできるのですが、生んだ母親は死んでしまうという方法です。

その死んでしまう決死隊みたいな母親に志願した少女の奮闘の記録です。原題は直訳すると「ジェシー・ラムの遺書」です。

物語は少女が子供を生むまでは書かれていないのですが、おそらく無事に子供を生み、少女は死んだのでしょう。

あとがきを読んであれ?と思ったのですが、この本の主題は「少女の自立と決断、実行」だそうです。

でも、私が感じたのは破壊的なウィルスに対してもあきらめずに立ち向かっていく希望を未来に託すという人類の気持ちみたいなものに心を打たれたわけです。

で、2冊を読んで感じたことは人類は子供を増やし、どんどん分業化し、交換を促進し、がんばって繁栄しろ!ということです。

抗うつ剤を飲んでひいこら生きていますが、なんつーか、希望ってものを忘れたらいかんのよね、そいで、分業ってのは大切なんだよね、いまやってる仕事っていろいろな種類のあわせ技みたいなので自分の身になっているのかな?ただの便利屋じゃないかオレ、転職しようと思ったのであります。