明大前記念日 『本とは何か』

気になる男(ひと)がいる。

気になると書くと恋愛してるみたいだが、私は男性であり私の恋愛対象は男性ではない。

子供の小学校の授業参観や運動会で何回か見かけていて、私からしたら「あ、どうも」くらいの知り合いである。

言葉や目礼を交わしたことはないのであっちが私を認識しているかはわからない。

なぜ気になるのかはわかっている、彼が小学校・中学校の同級生のMに似ているからだ。

Mの名字と私の名字は出席番号順で並べるといつも前後に並ぶ。私はだいたいMの後ろになる。

小中学校のときのMは私にとって特に興味ある同級生ではなかった。

学校が終わって一緒に遊ぶようなことは1回くらいあっただろうか?というくらいだった。

悪く言うと地味な印象であり、小中学生時代の私は「地味」に興味がなかったので「同級生」だとは思っていたが大切な「友達」だとは思っていなかったように思う。

私の友達数人が私の母とMの母が似ていると言っていたことがある。私は自分の母とMの母が「似ている」のであれば顔がそっくりなのかと思っていつか見たいと期待を持っていたが実際に目撃したMの母は年齢と身長は私の母と似ているが顔はまったく似てないなと思った。似ていないなと思ったMの母の顔はどんな顔だったのか思い出せない。

中1のときにクラスが同じになって少し話すようになったが積極的に仲良くなりたいとは思わず「同級生」のままだった。

私はいじめられて中学2年から学校に行けなくなり、中学2年から高校時代のMのことは知らない。

あとから聞いたことだが、Mも中学でひどいいじめを受けたのだが学校には行っていたと聞いて、いじめられても学校に行かれるMが「すごい」なと思った。

Mと再会したのはたしか大学4年かもしくは卒業したくらいだろうか、明大前で京王線から井の頭線に乗り換えるときに偶然会った。

お互い渋谷まで行く用があり、渋谷まで電車の中で色々喋った。何を喋ったのかほぼ覚えていないのだが「あ、これこれ」と思ったのだ。

何が「あ、これこれ」なのかはわからないと言うか未だうまく説明する言葉がないというか探すのが大変。

それから連絡を取り合うようになったわけではなく、次に会ったのは10年くらい前に子供を保育園に送りに行くMに偶然会ったが、「おう」と言って「元気か?」と聞こうとしたら行ってしまった。

普通だと随分失礼なやつだなと思うのだろうが、私はそうは思わずなんと言うか納得してしまったのだ。

仲のいい同性は友達で、友情で結ばれている。

仲のいい異性は恋人で、愛情(性愛?)で結ばれている。

Mとは友情とか愛情(性愛)ではないなにかで結ばれているのではないか、いや結ばれるという表現が適切じゃない。じゃあなんて説明すればいいのか。

いきなりMから今日の話に戻る。

会社への行き帰りの電車の中ではいつも本を読んでいる。北方謙三の『逆光の女』を読み終わりそうだったので、家を出る前にカバンに近衛龍春の『伊勢大名の関ヶ原』を入れた。

『逆光の女』を読み終り『伊勢大名の関ヶ原』を読み始めた、既に読んでいたことがわかった。タイトルが「地味」なので読んだことを忘れていた。

帰りの電車で読むものがない。

だから会社の帰りに渋谷まで歩き啓文堂ではなく紀伊國屋書店になった元啓文堂で『本とは何か』を買った。

よく読んでいるブログで紹介されていて気になっていたのだ。

1034円なり。

渋谷から井の頭線に乗り、『本とは何か』を読み始めた。

本を読むというのは自作自演的な「パフォーマンス」なのではないか?という話だった。

自分で文章を「読み」、それを自分が「聞く」。

音楽家は「作品」を「演奏」し、客がそれを聞いて「何かを感じる」のだとすると、読書家は「作品」を「読ん」で、自分がそれを聞いて「何かを感じる」みたいな感じなのだという。

私は小説が好きだが、小説を読むときは頭の中に登場人物が現れて演技を始める、私は登場人物たちを動かして物語を作っていく。これも「パフォーマンス」だ。

脚本や設定は作家が決めているが、それを私の頭の中の舞台にどうやって配置してどうやって動かしてどうやって喋らせるかは私の「パフォーマンス(脚色と演技指導)」にかかっている。

私がすごく読みやすいと思った作品は、つまり私が頭の中で「パフォーマンス(脚色と演技指導)」しやすかったということになる。

私がすごく面白いと思った作品は、つまり私が頭の中で「パフォーマンス(脚色と演技指導)」して楽しかったということになる。

私が読みやすいとか面白いと思った作品でも、他人からすると読みにくいし面白くないといのはその人にとっては「パフォーマンス」しにくかったり、「パフォーマンス」が面白くないのだ。

そうかそうか、というところで明大前で京王線に乗り換えた。

すると京王線にMに似た彼がいたのだ。

名前はM夫にしよう。

Mに似たM夫が乗っていたのだ。

Mと会って話したのも明大前、M夫と同じ電車に乗ったのも明大前。

明大前という駅は私にとって全く「興味のない」駅であり、混み具合からむしろ「嫌い」な駅である。

でもMとM夫がいたから今日は「明大前記念日」。