ホントウにミャンマーは江戸時代なのか? 『ミャンマーの柳生一族』

ミャンマー ヤンゴン,シェダゴンパゴダ

  • 書名:『ミャンマーの柳生一族』
  • 著者:高野秀行
  • ISBN: 978-4087460230
  • 刊行日:2006年3月17日
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:238
  • 形態:文庫

黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)の一角であるミャンマーのワ州に潜入しアヘンを栽培した高野秀行が、今度は作家船戸与一の取材旅行のガイドとして再びミャンマーへ・・・

今回は非合法な潜入でなくて、しっかりビザを取っての潜入・・・いや入国なのでミャンマー軍の情報機関のようなところが彼らのガイドおよび通訳および警護を担当する事になる。

そしてミャンマー軍情報機関の面々と船戸与一、そして高野秀行の面白旅が始まるのである。

本書の「柳生一族」というのはミャンマーという国を説明するために現在のミャンマーは鎖国中の江戸時代の日本である!と高野秀行が断定し、軍の情報部はあの「柳生一族」になぞらえる事が可能ではないのか?という冗談のような「ミャンマー軍情報部=柳生一族」説なのである。

海外に行った時、いや地方に行った時でもいいが、この街は日本で言うと東京だなとか、東京で言えば渋谷だな、などと訪ねた場所を自分の知っている地元で言えばどこか?というたとえをよく耳にするが、これも似たようなものである。

ニューヨークは日本で言えば東京だ!という断定などは、ある面では合っているだろうし、別のある面では大いに間違っているかもしれない。

ただ、ニューヨークを日本で言えば東京!と置き換える事により、ニューヨークのアメリカでの位置というものがおぼろげにつかめる気がする。

たとえというのは間違っている可能性も含みつつ、ただそのモノを頭の中で把握するためにちょっとだけ役に立つのハズなのである。

本書もミャンマー=江戸時代というやや強引な断定をしているが、そこからミャンマーも日本も対して変わらないのねという共有感覚が生まれ、でも江戸時代って事は結構色々ちがうのねという差異の感覚も生まれるのである。

まあなんだか小難しい小理屈を述べてしまったが、ミャンマー=江戸!という強引な仮説の強引っぷりが気持ちよかった本であった。

本書の柳生一族の関係者?と言ったら怒られるのかもしれないが、アウンサン将軍の娘スーチーの政党が最近ミャンマーの第一党となった、彼女の動向は日本ではかなり好意的に報道されているが、実際のところどういう人物なのだろうか、そして柳生一族はどうなるのだろうか。