全集のお話1~全巻集めたい! ドラゴンボールの記憶

著者:鳥山明 出版:集英社

こんにちは。久々の更新です。

「全集」、なんて甘美な響き。

好きな作家のすべてがそこに詰まっているのだと錯覚してしまいます。

いえ、錯覚ではありません。

ホントに詰まっているのです。

出ているのだから、全巻集めたいという人間の欲求をくすぐるのも全集の魔力でありましょうか。

今回は作家の全集ではなく、まず私が初めて集めた本(マンガ)のお話です。

今はなき吉祥寺ロンロン(2013年現在はブックファーストに・・・)にあった弘栄堂で、ドラゴンボールの単行本第1巻を見つけたのは小学校1年生くらいだったでしょうか。

と思って調べてみたら初版の発売が1985年の9月になっているので1980年生まれの私はまだ5歳の年齢。

小学校ではなく保育園生だったことになります。

その時に字が読めたかどうかの記憶はありませんが、母さんに買ってと言って買ってもらいました。

我が家は父が漫画家を目指していた(本気だったかどうかはわかりませんが手塚治虫ドンピシャのマンガ黄金期世代なので漫画家になるという夢は一般的だったんでしょう)影響か、すでに父がアラレちゃんを買っていて全巻そろっていたような気がします。

あと子供にはよくわからないマンガも並んでいました。

たぶんガロ系のマンガだったんでしょう。

ギャグマンガの『らんぽう』も並んでいました。

で、ドラゴンボール、読んでみたら楽しい楽しい。さらにはまったのが我が父、アラレちゃんにすでに注目していたところに息子が買ってきた鳥山明の新作に反応しないはずはありません。

なのでドラゴンボールは父と息子の共有物のような感じでドンドコと蓄積されていったのです。

ある時は私が母に買ってもらい、ある時は父が本屋で見つけて買ってきて、ある時は父と2人で本屋で見つけたりという事が続けられていったのです。

ドラゴンボールはまず、少年ジャンプで一番新しい話が展開され、その次にアニメ、最後に単行本という順だったと思います。

最初はアニメの話が一番遅れていて、途中でアニメが単行本を抜く瞬間があった記憶があるのですが、まあとにかくそのような順番で公開されて行ったわけです。

毎週水曜日は父が早く帰ってくる日で、テレビでドラゴンボールも放映されていました。

私が夕飯を食べ終わったくらいに、父が帰ってきて夕飯を食べ始める8時(7時だったかも)にアニメのドラゴンボールが放映されます。

我が家のリビングでは父がご飯を食べながら母と話をし、息子がドラゴンボールを見るという図が展開されていました。

父は単行本が出てから読むのを楽しみにしていたので、話が先行しているアニメ版の事を知ってしまうとつまらなくなってしまうので私にヘッドホンで見るようにと指示をし、私もそれに従ってヘッドホンでアニメを見て、見終わるとニヤニヤしながら父の顔を見て「オレこの先知ってるもんね」と優越感に浸る毎水曜日でした。

水曜日は父がレンタルビデオ屋で何本かビデオを借りてくる日でもあり、その後に『X電車で行こう』とか『王立宇宙軍 オネアミスの翼』とか『未来少年コナン』とかを一緒に見てました。

コナンは私の一番好きな宮崎アニメで、何巻かの続き物だったので毎水曜日のドラゴンボール→コナンのコースが2ヶ月くらい続き、それはそれは楽しい至福のひと時でした。

あと、記憶に強く刻まれているのが『不思議惑星キンザザ』です。

父が借りてきた実写映画の中で1番印象的で1番好きな1本でした。

映画内で「クー」と頬に手をやった後に手を下に広げる挨拶があるのですが、父と私との間でその挨拶が流行りました。

幸せな時代でした。

そして、9時くらいに私が寝た後に父は昔の映画などを見ていたのでしょう。

夜、トイレに起きると白黒の渋い映画を見ていた記憶があります。

黒澤明が多かったように思います。

話が大きくそれそうになったので、ドラゴンボールに戻ります。

私の人生の黄金時代というのはちょうどバブルがはじける前の、小学4年生前後、1990年くらいでした。学校も楽しい、景気もいい、なんだか幸せだったんだな、と今になるとそう思います。

ですが家族の幸せな時間はというのは長くは続きませんでした、1993年の春、私の中学入学と同時に両親が別居。バブル崩壊の影響も大いにあったのでしょうか、その頃の話はいまだに母には詳しく聞けず、なんともよくわかりませんが、その頃は父が家にいると家の中が暗くなっていたので、別居は私にとっては朗報でした。

ドラゴンボールは父の家に置いてきました。

べジータを倒したくらいから、私はドラゴンボールに興味があまり持てなくなり、ドラゴンボールはどうぞ・・・

となったのでしょう。

我が家は三鷹の井の頭4丁目にあったのですが、父はその家に残り、私と母は3丁目に引っ越しました。

父とは週に1回月曜日に会いに行くという約束になりました。

私がドラゴンボールを手放した後も父はドラゴンボールを買い続けていました。

ただ、ドラゴンボールの話をする機会はそのころはほとんどなかったと思います。

昔3人で暮らしていた家でポツンと一人暮らす父の姿とその家のたたずまいは、なんともいえない家族の事情が反映されていて私はホントウになんともいえない気持ちになっていました。

そして、父は井の頭から早稲田に引っ越します。

私が中学2年(1995年)の頃だったと思います。

3人分の家の家賃を払うのがアホらしくなったのでしょう。

早稲田はワンルームのマンションでした。

私は週に1度月曜日に早稲田に行くようになります。

そこでもドラゴンボールはドンドンと積みあがり、遂に完結しました。

調べてみると少年ジャンプでの連載終了が1995年の25号なので、6月くらいに連載終了。

そして1995年の8月に最終巻の42巻が出ます。

もちろん父は42巻を買い、全巻が揃ったのです。

「ドラゴンボール終わったね」みたいな会話をした記憶はありますが、それ以上の話は父とはしてないような気がします。

私と父のドラゴンボールへの熱は黄金時代(1990年くらい)をピークに下がり始め、父も惰性で買っていたのでしょうが、その変なマジメさみたいなものに私は感心していたような気がします。

そして父はその2年後の1997年の10月に急に亡くなりました。

倒れて病院に駆けつけてみると、くも膜下出血とのこと。先生から説明を受け、手術でなんとかなるかもと言っていましたが、助かっても植物人間になってしまうだろうとのこと。

あ、これは死んだんだなと思い涙が出ました・・・

当たり前ですが、父が死ぬのは悲しいのだなと私は思いました。

そしてその4日後に父は亡くなりました。

父は漫画家になりたかったようですが、私が生まれたくらい(1980年くらい?)に塾の経営を始め、私が小学校5年くらい(1989年くらい?)に塾をたたみます、それから40代になると小説家を目指し始めそれも夢破れ、最後には塾の先生として再就職を果たしました。

その再就職が父の晩年でした、晩年の春くらいに就職が決まりました。

「この年で新人研修を受けたりしてるけどすごく楽しいんだ」と私に話していました。

8月には父の就職した塾に夏期講習に行き、父はそこでは事務的な仕事をしていたようなのですが、父の周りに子供たちが集まり冗談を言い合っているのを見て、「やっと天職を見つけた、いや天職に戻ったのだな」と思いました。

若い死でしたが、最後は幸せだったのかなと思います。

父の死後にワンルームマンションに残された膨大な書籍は母の知り合いの古本屋さんに全部引き取ってもらうことになりました。タダで全部持っていく代わりに、買い取りはしないという条件でした。

私はその古本屋さんが来る前に父の部屋に行って、自分の興味のある本とマンガを持って帰ることにしました。

その頃は小説を読んでなかったので、今見たら目の色が変わるような小説があったかもしれませんがその時はよくわかりませんでした。

だから、持って帰ってきたのはマンガ本がほとんどでした。

その中にドラゴンボール全巻もありました。

ドラゴンボール自体への興味は薄れていましたが、父との思い出だからという思いもあったのでしょうか。

そして、時は流れ・・・それから10年後、私は小金が必要になり、ヤフオクでいらないものを売ろうと思い立つのです。

そのいらないものリストの中に私はドラゴンボール全巻を含めました。

父との思い出ですが、42巻売ると5000円以上になると知り、出品します。

すると7000円で落札。

父との思い出は7000円になりました。

そして落札したのは岩手県の方でした。

父の故郷は岩手県、なんだか因縁を感じずにはいられません。

その時には他にも色々出品して計5万くらいの小金を手に入れた記憶がありますが、出品と発送の手間がとにかくかかり、グッタリと疲れた記憶もあります。

そして・・・

次に出会ったのが、と行きたいところですがドラゴンボールと父の話でこんなに長くなるとは思わなかったので次に続きます。