異色の東京モノは暫定だけど高野秀行の最高傑作『異国トーキョー漂流記』

東京街並み

  • 書名:『異国トーキョー漂流記』
  • 著者:高野秀行
  • ISBN: 978-4087477924
  • 刊行日:2005年2月
  • 発行:集英社文庫
  • ページ数:259
  • 形態:文庫

以前に私は高野秀行の『ワセダ三畳青春記』について下記のように書いた。

実は高野秀行の作品は辺境冒険モノよりも、街で暮らしている日常モノの方が外れがない、筆者の得意の冒険モノでないのに出版されているという事実がそれを物語っている。

本作は私の読んだ高野秀行の著作の中で「暫定」だが、最高傑作。

外国人と一緒に東京の街を歩くと、そこは「東京」ではなく異国の街「トーキョー」になる。

そう感じた高野秀行が東京で出会った外国人達との話を集めたのが本作である。

アマゾン、中国、ミャンマーのワ州、タイ、コンゴ、世界の辺境(と言ったら住んでる人に怒られるか)と言われる地域での高野秀行の面白話を今まで読んできたが、今回彼が旅するのは「トーキョー」である。

初めて東京に来た外国人から見た「トーキョー」の街は異国である、って当たり前だ。誰でも自分の生まれ育った国でないところは異国である。

出てくる外国人達の顔ぶれは、熊みたいなイラク人、暗黒舞踏のフランス人、孤独な日系ペルー人、小説家のコンゴ人、盲目のスーダン人、ドラえもんみたいな中国人などなど。

本作の出色はラストに盲目のスーダン人(モハメド・オマル・アブディン)と一緒にトーキョードームに巨人戦を観に行くくだりである。

私は野球が特に好きではなく、さらに父と一緒に野球観戦をした事も無い。

父と野球をしたので記憶に残っているのはキャッチボールを1回したことくらいか。

父にキャッチボールをしようと言われて近所の公園に行き、私は当時あまり運動神経のよい少年ではなかったので(今もだけど)、父からのボールが顔面に当たって痛かったという記憶がある。

父は息子と「キャッチボール」ができて満足だったかもしれないが私は痛かった。

しかしこのシーンを読むと世の父子達がキャッチボールをしたりそろって野球観戦に行く理由がちょっとわかる気がする。

私はこの章を読んでちょっと泣きそうになった、つーか少し涙が出た、いや結構出た。

このスーダン人の青年、モハメド・オマル・アブディンは『我が妄想』という本を出していて、本が出る前に私もWebでの 連載 (リンクが死んでいる)を少し読んでいたが、かなり面白かった。

本書とともにオススメです。