本能寺以降の秀吉の話は暗い 『秀吉の枷(上・中・下)』

秀吉の枷

  • 書名:『秀吉の枷(上・中・下)』
  • 著者:加藤廣
  • ISBN:978-4167754037(上)、978-4167754044(中)、978-4167754051(下)
  • 刊行日:2009年6月10日
  • 発行:文春文庫
  • 価格:各600円(税別)
  • ページ数:333(上)、348(中)、347(下)
  • 形態:文庫

加藤廣の本能寺3部作の第2作目『秀吉の枷(かせ)』である。前作の『信長の棺』は大田牛一が主人公だったが、タイトルのごとく本作の主人公は羽柴秀吉。

桶狭間の戦いで織田軍団を勝利に導く秘策を信長に授けた秀吉はそれをきっかけに出世の階段を上る、信長から本能寺からの抜け穴を作ることを密かに命ぜられた秀吉は明智光秀が謀反を起こそうとしていることを知りその抜け穴をふさぐことを前野長康に命じる。織田軍団のライバルたちを倒し天下を取った秀吉だが、本能寺の抜け穴を埋めた後ろめたさが彼の後継者問題に暗い影を落とすのだった・・・

というような流れで本書は進んでいく。

本書の軸は桶狭間の戦いから本能寺の変にいたるまでの秀吉の心の変化、なのであるが、そこらへんのことは前作の『信長の棺』でも匂わされていたので、本書ではその種明かしをするという感じである。

本能寺の抜け穴埋め事件が何故起きたのかは、桶狭間の戦いのあとに秀吉が信長に3つのお願いをし、それが全て守られなかったからなのであり、そのお話は同著者の『空白の桶狭間』の方が詳しいし、さらにお話もそっちの方が面白い。

なので本書はあくまでも種明かし的な感じが強い物語で、読むのなら『空白の桶狭間』の方が断然面白い、さらに本作は晩年の秀吉に筆がかなり割かれているので暗い、暗いったら暗い、晩年の秀吉は千利休や秀次などに切腹を命じたり、悪名高い文禄・慶長の役を起こしたりと、とにかく暗いのだ。

ただ、本シリーズで面白いと思ったのが秀吉の思想的な背景をしっかりと描いているところである。

秀吉の前後の天下人である2人が対照的なイメージのため(神をも恐れぬ無神論者の信長は左な感じ、鎖国政策と忍耐が有名な家康は保守的で右な感じ)、秀吉はその2人に挟まれて思想的にも左でも右でもなく中道という印象を持っていた。

しかし、秀吉を山の民出身とすることで、秀吉は天皇を頂点とする神道的な思想を強く持っていたのでは?という仮説が面白い、そう来るか、そうなのか。

で、本作は3部作の2部作目ということで3作目になる『明智左馬助の恋』はどんなお話になるのであろうか、お話的にはこの『秀吉の枷』で終わりという感じがするのだがまだ続きがあるのか、何か秘密があるのなら楽しみ。

裏稼業の人間が本番前にインフルエンザになったらどうするのか 『ギャングスターレッスン ヒートアイランド2 』

ヒートアイランド2 ギャングスターレッスン

  • 書名: 『ギャングスターレッスン ヒートアイランド2 』
  • 著者: 垣根涼介
  • ISBN: 978-4167686031
  • 刊行日: 2010年4月10日
  • 発行: 文春文庫
  • 価格: 619円(税別)
  • ページ数: 343
  • 形態: 文庫

前作『ヒートアイランド』の結末ではアキが柿沢と桃井の仲間になるかどうかはわからなかったが、やはりと言うべきかアキはその誘いを受けた。

ギャングスターレッスンという名前の通り、アキが柿沢と桃井のもとで裏稼業の実地訓練を行い、実際の仕事をするのが本作である。

垣根涼介の作品なのでもちろん車が出てくる、主人公の一人である桃井は開店休業中ではあるがチューンショップのオーナーでありエンジニアであり、その桃井からアキが車のチューニングを教わるシーンも出てくるし、そのシーンの登場人物たちはとても楽しそうである。

前作を読んでいる前提があるであろうが、かなり安心して読める物語であった、今回は確か人も死なない。

インフルエンザにかかり、自宅の二階で苦しんでいる状態で読んだのだが、彼らのような裏稼業の人間たちは実行前にインフルエンザにかかったりしたらどうするのだろうか、緊張しているからインフルエンザにかかったりはしないのか。

「犯罪者 インフルエンザ」でGoogleで検索してみるとなんか出てくるかなと思って調べてみたが「インフルエンザ感染者は犯罪者扱い?」みたいなタイトルのページばかり上位にやってくる。

感染するだけで犯罪になるのか、であれば感染させたらさらに重罪か、つーかどうやって感染経路を実証するのかって馬鹿らしい。

というか「犯罪者 インフルエンザ」という検索ワードがいけないな、じゃあ「アウトロー インフルエンザ」でどうだ。うーん私の気になるような検索結果じゃなかった。

じゃあ「本番前 病気」でどうだ!うーん。ダメか。

誰も気になっていないから誰も何も書いていないのか、いや気になっている人はいるはず、ここに一人いる、私が。

で、私が裏稼業の人間だったと考える、まずインフルエンザになったかもと思ったらどうするか。

保険証はダミーのものかもしれないから、本物の自分の保険証を使うかどうかまず迷う、いやそもそも病院に行くかどうかに迷う、この病院は警察関係者が多いとか、タレこみ率が高い!とかタレこみ率ってそんなもん誰が調べて発表しているのかわからないが裏稼業の回覧板みたいなのでそのタレこみ率が高い病院がリストアップされているのだ、たぶん。

まあでもつーことは裏稼業用の病院みたいなのはあるはずで、そんな病院が開業すると裏稼業の回覧板にお知らせが出るのである。だからその病院が自分の家から近いかが問題になるのだろうが、おそらく裏稼業の方々はある程度まとまった地域に住んでいるはずである、人の出入りがあまりない田舎ではなくて、ある程度出入りのある都市部ってこと、だから東京なら都下ではなく都内であり、人口密度の高いところに住むのであろう、深夜の出入りも不審がられないような、つーことは都内のタワーマンションみたいなところか。

そうかああいうところに住んでいるのか、ってたぶん違うか。まあつまり裏稼業の方々がまとまって住んでいるとしたらその地域にはそれ専用というか裏稼業歓迎の病院があって、そういうところに行くんだろうな。

おそらくそういうところだから保険証とかもなくて、カードに個人情報も記入させない、医者も患者もマスクにサングラスで相手がわからないようにしている、名前を呼ぶときも番号で呼ぶので名前はバレない、さらに誤診などをしたら裏稼業の人たちがお客さんだから大変で、医者は緊張感のある中で仕事をしているので腕はいい。

人に言いにくい病気などになったら私も行きたいかも、顔も見られないし名前も呼ばれないって結構いいじゃん。

以前、股間が腫れてしまい泌尿器科に行ったことがあるのだが、アレは結構恥ずかしい、さらにその病院は泌尿器科以外もやっている病院なので女性も何人か居てどんな顔で待合室で待っていたらいいのやら、なんつーか大変だった。

結論、裏稼業の人たちがインフルエンザになったら裏稼業の回覧板に載っている病院に行く!のだ。たぶん。

スパイ小説における銃器が垣根涼介の小説の車 『ヒートアイランド』

ヒートアイランド

  • 書名:『ヒートアイランド』
  • 著者:垣根涼介
  • ISBN:978-4167686017
  • 刊行日:2004年6月10日
  • 発行:文春文庫
  • 価格:676円(税別)
  • ページ数:466
  • 形態:文庫

ヤクザの経営する違法カジノを襲った3人組の1人が渋谷のストリートギャングの一員に襲われ、大金が盗まれたことから物語は始まる。

主人公は渋谷のストリートギャングのボス・アキ、そしてアキのギャングチームを追い詰めるカジノ強奪犯の柿沢と桃井が裏の主人公。

垣根涼介の物語に必須なのがチューニングを施された玄人好みの車、本作にももちろんそれが出てくる。垣根涼介はアウトロー小説ではなく、車のチューニングの話だけを書きたいのではないかと思うくらい、登場人物に車の話をさせているパートの熱量がすごい。

スパイ小説でも銃器の細かい話やウンチクが語られるし、それがスパイ小説のウリのひとつになっているのかもしれないが、垣根涼介の小説における車はスパイ小説における銃器とほぼ同じような役割を果たしている気がする。

つまり絶対に離せないのだ、垣根涼介の小説から車を引いてしまったらスパイ小説から銃器がなくなってしまうのと一緒なのだ、だからストーリーが進まない。

さらに垣根涼介の小説の主人公になるには資格があって、車が好きじゃなきゃいけないみたいなのだ、なんでってそう決まっているのである。

スパイ小説のエージェントも銃器が好きでしょ、あと探偵小説の主人公もだいたい女にもてるし、警察小説なら大体警察組織は腐敗してる、江戸モノ小説なら腐敗してるのは幕府や越後屋だし、経済小説でも政府が腐敗してたりする、私小説だと不倫してたり、まあつまり垣根涼介の小説における車というものはストーリーと切っても切れないものなのである。

マンネリの元になるかもしれないし、車が特に好きではない女性の反応とかを気にするとあまり車に関してページを割けないと普通の作家なら考えるのだろうが、垣根涼介の車に対する熱量が物凄いからなのか普段車を運転しない私も「楽しそうだな、車欲しいな」と思ってしまうくらいのパワーがある(ミニ四駆やラジコンで遊んでいた車好き少年だった下地はありますが)。

独身時代に読んでいたら車買っていたかもって思うくらい、車の話になるととにかく楽しそうなのである。

でも結婚前にこれ読んで車買ってたら結婚できなかったかも。

勧修寺晴豊が見た本能寺の変『天正十年夏ノ記』

『天正十年夏ノ記』

  • 書名:『天正十年夏ノ記』
  • 著者:岳宏一郎
  • ISBN:978-4062646642
  • 刊行日:1999年9月15日
  • 発行:講談社文庫
  • 価格:638円(税別)
  • ページ数:347
  • 形態:文庫

本書は渋谷のブックオフの100円コーナーで見つけた、『天正十年夏ノ記』という名前のごとく本作のクライマックスは「本能寺の変」であり、本作も数ある本能寺モノのひとつであると言える。(本能寺の変は天正十年[1982年]の夏の出来事)

著者の岳宏一郎(たけこういちろう)は初めて見る名前だったが、他にも戦国モノの小説を書いているらしい。

本作は天皇の秘書官である勧修寺晴豊(かじゅうじはれとよ)を主人公に据え、晴豊たち京都の朝廷と織田信長のやりとりを描いたものである。

本書では、本能寺の変の主犯格の明智光秀の信長殺害の動機は、「信長から与えられたものを、信長から取り上げられたこと」であり、光秀はそれに「耐えられなかったから」としている。

また、光秀の挙兵の情報を掴んでいたかもしれない京都所司代の村井貞勝は信長陣営の人間でありながら心情的には朝廷寄りだったため、その挙兵の情報を信長に伝えなかったのではないか?という推測も本書の中ではされている。

本作の中で信長は冷血な暴君として描かれており、本能寺の変前夜の京都には信長は殺されても仕方がないという雰囲気が流れていたように書かれている。

勧修寺晴豊の妹であり東宮夫人の晴子が主要登場人物だった同じく本能寺の変を扱った安部龍太郎の『信長燃ゆ』と同じような背景を持った主人公(本作は勧修寺晴豊、『信長燃ゆ』は近衛前久)のお話であるが、勧修寺晴豊の残した「日記」(おそらく晴豊公記)を下敷きにしているせいかストーリーは淡々と進んでいく。

大きな驚きや手に汗握るような展開はないが、安心して読める本能寺モノ歴史小説と言えよう。

なんとなくしっくり来る仮説『空白の桶狭間』

空白の桶狭間

  • 書名:『空白の桶狭間』
  • 著者:加藤廣
  • ISBN:978-4101330525
  • 刊行日:2011年10月1日
  • 発行:新潮文庫
  • 価格:476円(税別)
  • ページ数:319
  • 形態:文庫

信長に関連する謎の中で一番有名なものは「本能寺の変」であろうが、本作の題材になっている「桶狭間の戦い」も信長の謎の中でかなり大きなものである。

大軍を擁しているはずの今川義元が何故簡単に首を取られてしまったのか?そもそも織田信長は奇襲をしたのか?奇襲をしたとしても大軍に気づかれずに今川義元の本陣に近づけたのは何故か?など。

また信長が出陣前に敦盛を舞ったり、わずかな手勢のみを率いて信長が城を飛び出したり、熱田神宮で戦勝祈願をしたり、さらに油断している義元を豪雨の中で討ち取ったり、そのイメージがとても鮮烈で、すごく映像的で、つまりなんつーか神話チックというか、だから桶狭間の戦いのディティールは全て作り話っぽい感じがムンムンしてくるのだ。

で、その疑問にひとつの答えを与えてくれるのが本書である。

ずばり桶狭間の戦いの今川義元への奇襲の絵を描いたのは羽柴秀吉(木下藤吉郎)であり、さらに秀吉は「山の民」出身でその山の民たちを使って義元をだまし討ちしたというのが本書の主張である。

うん、面白い。

山の民と出てくると隆慶一郎を思い出してしまう、まあ秀吉が山の民だったかどうかというのは置いておいて、信長が義元に降伏するという偽の情報を使って義元を騙して桶狭間に誘導するというのはちょっと興奮する説である。

そうか、たしかに、信長が降伏するって言ってきたら義元側は信じるよね、大軍を引き連れているのだから、信長は俺のこと怖いんだガハハ、って思っちゃうよね。

秀吉が桶狭間の戦いの褒美として信長に

  • 天皇を尊崇すること
  • サルと呼ばないで欲しいこと
  • 市を嫁にほしいこと

の3つのお願いをするのだが、それはほとんど守られずに同著者の『信長の棺』の伏線になっていて、さらにそれはその続編『秀吉の枷』の伏線にもなっているようだ。

『信長の棺』は以前読んでいるが、『秀吉の枷』はまだ未読なので今から楽しみである。

ジョン万次郎だけじゃない、江戸時代の漂流記『海神 孫太郎漂流記』

海神(わだつみ)

  • 書名: 『海神(わだつみ) 孫太郎漂流記』
  • 著者: 安部龍太郎
  • ISBN: 978-4087474640
  • 刊行日: 2002年7月25日
  • 発行: 集英社文庫
  • 価格: 686円(税別)
  • ページ数: 389
  • 形態: 文庫

江戸時代、南国の島に漂着した孫太郎たちの苦難の旅をつづった冒険時代小説。安部龍太郎は戦国時代のものしか書かないと思っていたので本作のような江戸時代の海を舞台にした冒険小説を書いていたのは意外だった。

仙台沖で主人公・孫太郎の乗る伊勢丸が遭難し漂流する第一部、南洋の島に漂着し地元民達の奴隷になりかけて脱出するのが第二部、そして実際に奴隷になってしまう第三部、奴隷の身から解放される第四部、バンジャルマシンでの自警団として活躍する第五部、本書は400ページ以下の構成であるがストーリー自体は上記のようにかなりボリュームがある。

色々なエピソードをそぎ落としてシェイプアップした結果、400ページ弱の内容になったのであろうが、1冊400ページの文庫3冊分くらいで孫太郎の活躍をもっと読みたかった。

物語の終わりには筆者による追記があり、その追記は物語には続きがありますよ~という含みに読めるのだが、本書の続編は出ているのだろうか。

孫太郎の漂流は実話だったようで、孫太郎の漂流のお話をまとめた『南海紀聞』という資料があるようである。Amazonで検索してみると雄松堂出版より『南海紀聞 (海外渡航記叢書 (4))』という英語の本が出てきた、1991年に出版で中古価格が3,852円(2016年2月3日時点)・・・、この値段じゃ買えない。

雄松堂出版からは海外渡航記叢書というシリーズが出ていたようであり、ジョン万次郎や大黒屋光太夫などの漂流記なども出ているが5巻で終わってしまっている、残念。

書影を見るとタイトルが英語というかアルファベット表記になっており、英語で書かれているような気もするのだが、中身は英語と日本語どちらなのだろうか。

このシリーズは再度出したら結構売れるんじゃないだろうか?名前が硬いから「ザ・シリーズ日本の漂流」に変えよう、「ザ」がすごく古めかしいのでこれからなんかいい名前を考えるとして。

「プロジェクト・漂流」でどうか、漂流はプロジェクトじゃないか。というかプロジェクトなんちゃらなんつーのも古めかしいからもっといいのを考えなきゃいけない。

さらにこの叢書を出していた雄松堂出版は丸善に吸収されて丸善雄松堂株式会社になったようだ、というかそれ一昨日のことじゃん(2016年2月1日に吸収合併されたらしい)。

この合併を機会に海外渡航記叢書を再度出してみませんかね、丸善雄松堂さん、どうかな。

登場人物の名前を覚えることからはじめよう 『ダーウィンの子供たち(上・下)』

ダーウィンの子供たち

  • 書名:『ダーウィンの子供たち(上・下)』
  • 原題:Darwin’s Children
  • 著者:グレッグ・ベア(Greg Bear)
  • ISBN:978-4863322752(上)、978-4863322769(下)
  • 刊行日:2010年9月18日
  • 発行:ヴィレッジブックス
  • 価格:上下ともに880円(税別)
  • ページ数:409(上)、399(下)
  • 形態:文庫

本書を購入したのは5年ほど前のことだと思う、買ってから今までずーっと我が家の本棚のSFコーナーに鎮座していたが、遂に読むこととなった。本には賞味期限みたいなものがある、で、その賞味期限は発売や刊行された日付とは関係なく、本屋でその本を購入した日から賞味期限のタイマーがカチカチと回り始めるのだ。

大体買った日より1週間程度でかなり鮮度が落ち、1ヶ月も経つと干物になる。で、干物でも味が出ればいいが、鮮度が命の本なんかだと干物になっちまったらもうおしまいみたいなことがある。

本書をずーっと本棚で干物にしていた理由は、パッケージの印象の薄さと題名である。

「ダーウィンの子供たち」か、ふーん、ダーウィンということは進化論で、子供たちが何らかの進化・変化をしてそれが大人たちにとって大変な脅威になる、というような話であろうな、著者のグレッグ・ベアは『ブラッド・ミュージック』っていう遺伝子操作により知的生命体が人類の身体の中に宿る話を書いているのでそれと似てるんだろうな、と思ったのだ私は。

で、読んでみてその予想はあまり外れなかった。

気になったのが、登場人物たちの名前である。ステラとミッチとケイという3人家族が本作の主要人物なのであるが、誰が母で、誰が父で、誰が娘か、名前からわかるだろうか。

最初私は全員女性の名前ではないかと思った、正解は母はケイ、父がミッチ、ステラが娘である。

まあ言われればそうだという気になるし、何がどうしたと言う風に感じるかもしれないが、そこはかとない違和感を感じたのだ私は。

それ以外の登場人物も身体的な特徴や性別から受ける印象と名前が一致しなかった、頻繁に登場するウィルスハンターのクリストファー・ディケンはインディ・ジョーンズみたいなカッコいいおじさんを想像したが、なんでディケンか、なんで「ン」で終わるか。

唯一、ミセス・カーラ・ラインという女性だけはなんとなく名前の印象と物語内での描写に齟齬が少ないと思ったが、呼び方が「カーラ」だったり「ライン」だったりするので、誰だかわからなくなる、って物語内で登場人物が他の人物に呼びかけるのに苗字や名前を使い分けるのはしょうがないし、呼び方を変えるのは物語を語る上でのアクセントになったりもするし・・・

苗字・名前問題というのは翻訳モノであろうが、国内モノであろうが常について回る問題である。

織田信長が出てくる戦国小説では、彼のことを「織田」とは言わない、織田と言ってもどの織田だ?信長?それとも父の信秀?いや子供の信雄、信孝?となってしまう。

だが、明智光秀だと、「明智」と呼び捨てにしてもあまり差し支えはない、なぜなら明智性の有名人があまりいないのでおそらく光秀のことであろうと読んでる人は思ってくれる(はず)。もちろん江戸川乱歩の小説になると意味が違ってくるってどうでもいいか。

たとえばドラえもんに出てくる野比のび太。彼を仮にAとする。

Aは作中ではお母さんやドラえもんには「のび太」と呼ばれ、先生からは「野比!」と言われる。この場合、A以外の登場人物はどちらも違う音でAのことを呼んでいるのであり、よくわからない人がその2つのシーンを見たら、「のび太」と「野比」は違う人間のことを指していると思うかもしれないが、どちらも同じAを指して呼んでいるのである。

読者はAの苗字+名前が「野比のび太」であることがわかっているので、Aが名前で呼ばれても苗字で呼ばれてもAが呼ばれているということがわかるのである。

で、読者に登場人物の苗字+名前を知らせるにはAは「野比のび太」でありますよとどこかで説明しなければいけないのだが、これは1回くらい説明したところでは誰も覚えなくて、ことあるごとにAは「野比のび太」だよと教えておかなければならない。

たとえば主題歌に苗字+名前を入れて、「そーらを自由に飛びたいな!はーい野比のび太君にタケコプター!」とか。

「野比のび太」に選挙活動をさせて「野比のび太、野比のび太に清き一票を!」と連呼させたり。

毎回、のび太にケガをさせ、病院の待合室で「野比のび太さん、どうぞ」と言われるように仕向けたり。

主人公が毎回テストで0点を取り、テスト用紙の名前欄に「野比のび太」と入っているシーンが冒頭に流れる、ってこれはドラえもんでよくあるシーンか。

まあ、作者は手を変え品を変え、読者に登場人物の名前を覚えさせないといけないのである、これが何の説明もないと、野比ってだれ?のび太って?そんな面白い名前のやついるわけないじゃん、みたいな風に思われるのが関の山なのである。

話は本書に戻るが、その苗字+名前で登場人物を説明することが本書には少ないように感じるのである。

その音を耳にすると、ディケンはおもむろに銃を手に取り銃口を覗き込んだが、いきなり咳き込んで彼の肛門からおならが出た

という描写が本書599ページにあるのだが、ディケンって誰だっけ?となってしまう。

その音を耳にすると、クリストファー・ディケンはおもむろに銃を手に取り銃口を覗き込んだが、いきなり咳き込んで彼の肛門からおならが出た

という風にすればいいのである、たった8文字「クリストファー・」と入れてくれればいいだけなのだ。

みたいなことをずっと考えてしまい読書に集中できなかった、登場人物のフルネームは結構頻繁に出してくれていいと思うのだ、20ページに1回くらいは出していいはずなのだ。海外翻訳ものの小説には最初の方のページやカバーの折り返しに登場人物表があるが、あれも役に立つ時もあれば立たない時もあり、今回は役に立たなかった、というか小説を読んでいる時にたびたび前のページに戻って名前確認なんて読むテンポが悪くなっちまうのだ。

あとから知ったのだが、本書は『ダーウィンの使者』という物語の続編だったようだ、だから登場人物が誰なのかわかりにくかったのか・・・

SF作品としては、同じ著者の『ブラッド・ミュージック』と比べちゃうとかわいそうに感じるが、まあそんなに悪くないよ、という感じだった。

電子書籍版を購入して、OCR(画像内の文字をテキストデータに変換する技術)にかけて、さらに人物名をフルネームに全置換してから読みたかった。

インフルエンザの予防接種はワナがいっぱい、早く連絡よこしなさい

注射

昨年の10月頃よりずっとやろうやろうと思っていて、年が明けてしまった。インフルエンザの予防接種である。

ここ数年は会社のある渋谷で予防接種を受けているのだが、去年の初めに転職をして会社が変わったので(同じ渋谷だけど)、健康保険の組合が変わった。

で、今回の組合では指定の医療機関だと予防接種代が1,500円引きになるとのことである。

なので、今まで行っていた病院とは違うところに行くことにしたのだが、その病院に電話してみるとなんと今年度のインフルエンザの予防接種は終わったとのことで、受けられなかった。

1月になってインフルエンザの予防接種受けるのは遅いよね、と言われてるみたいな気がしたがほかに受けられるところがないか調べてみたらちょうどいいのがあったので会社の帰りに行って来た。

3,500円の予防接種代が1,500円引きで2,000円となった。よかった。

で、家に帰ってきてネットで「インフルエンザ 予防接種 価格」で検索してみるとこんなページがヒットした。

東京都のインフルエンザの予防接種の平均価格は3,500円ほど、つまり私は平均価格で予防接種を受けたわけである。

ああ、よかった。と思ったのだが、そういえば前の会社にいた時は会社の最寄りの病院に行っていたのだが、そこは5,000円くらい取られていた気がする。

多分だけど前の会社の健康保険の組合でも割引チケットみたいのがあって、その最寄りの病院でも割引きで予防接種が受けられたはず、知らないって恐ろしい。

とのことだったのだが、翌日組合のホームページを見てみると昨日行った病院のインフルエンザの予防接種代が3,080円となっていた・・・

1,580円で予防接種が受けられたんじゃない!と思って昨日行った病院に電話してみると、よくわからないので保険組合に問い合わせて調べてから再度私に電話するとのこと。

で、電話はまだ来ない。ぜんぜん来ない、これは払う気無いな、来週の昼休みにでも直接行って払い戻してもらおうと思っているのだが、500円でそこまでするのも・・・いやなんか悔しい、つーかこっちは100円とか200円のお金でひいこら言っている身なのだ、ふざけんな。

早く連絡よこしなさい。

(結局、病院に直接行ってお金は返してもらえました、ありがとう)

自意識のフレームが変容する瞬間 『午前3時のルースター』

午前3時のルースター

  • 書名:『午前3時のルースター』
  • 著者:垣根涼介
  • ISBN:978-4167656683
  • 刊行日:2003年6月10日
  • 発行:文春文庫
  • 価格:590円(税別)
  • ページ数:360
  • 形態:文庫

垣根涼介の本を初めて読んだのは、義父からもらった『ワイルド・ソウル』だった。

ブラジル移民とその子供達が日本政府に対して誰も死なないテロを仕掛けるという、犯罪モノであった。そのテロが成功するのか、しないのか、手に汗握る犯罪ミステリーだった。

『ワイルド・ソウル』が犯罪を仕掛ける側(謎を仕掛ける側)からの物語だったのに対し、本作は『ワイルド・ソウル』と似たような舞台背景で展開するものの探偵側(ニワカ探偵だが、謎を追い求める側)の視点で物語は進んでいく。

垣根涼介が『君たちに明日はない』か何かのあとがきで、登場人物の世界に対する自意識(価値観)がガラリと変わる瞬間(自意識のフレームが変わる瞬間)がその人物が一番魅力的になる時であり、そのような瞬間を私は小説で描いてきた、というようなことを言っていた。

本作でもベトナムの地で失踪した父を探す慎一郎、息子から探されることになる父、その2人の自意識のフレームが変わる瞬間が描かれる。

私の人生にも自意識のフレームが変わる瞬間というのがあったろうか、うーん。

中学校に入ったとき?大学に入ったとき?いや違うか、結婚した時?

で考えてみて思い当たるのが・・・ない。

特に無い。

多分、垣根涼介の言う自意識のフレームが変わる瞬間というのはその人物が予想もできないような事件や事故や物事にぶち当たった時に訪れるのかもしれない。

私の人生には残念ながらそういう大きな不幸や大きな事件みたいなものはなかった、予想外の展開というやつだ。

父親が死んだ時はいきなりだったのでそれは人生における大きな事件だった。そうか、でもそれで何が変わったろうか。母と父は別居していて私は母と一緒に住んでいたので生活はあまり変わらなかったし、うーん。

あ、あった。小学校5年か6年の時に友人から「お前結構みんなに嫌われてるよ」と言われたことがある、あれはショックだった、私の信頼していたというか、無条件に信じていた都合のよい世界に対する認識みたいなものが崩れ去った瞬間だった。

たぶんアレが、私の少年時代が終わり、プレ青年時代に突入した瞬間だったのかもしれない。

今私は35歳だがそのプレ青年時代はまだ終わっていない、ような気がする。

Nexus 5Xが欲しいけど14(完)「格安SIMに乗り換え完了、Nexus 5をしばらく使う予定」

Nexus 5

Y!mobile(旧EMOBILE)で割賦購入したNexus 5をNexus 5Xに機種変更しようと考え色々調べたが、結局機種変はせずにキャリアをY!mobileから格安SIMに乗り換えるだけにした。

そして、格安SIMキャリアのmineo(ミネオではなくマイネオ)に申し込みをしたのが前回までの話。

mineoの格安SIMが届く

mineoのエントリーパックを使って格安SIMを申し込んだのが2016年1月6日だった、そしてSIMカードは2016年1月10日に届いた。

10日程度かかるかと思っていたが、4日で届いた。mineoのサイトにも10日程度かかりますのでよろしくね、と書かれていたので拍子抜けである。

nano SIM変換アダプタを使ってNexus 5にnano SIMを入れる

で、私はmineoで下記のプランを申し込んだ。

■Dプラン デュアルタイプ パケット制限(1GB)(\1,620[税込]/回線・月)
 ・端末同時購入:しない
 ・SIMカード:nanoSIM
 ・本人確認方法:画像アップロード
 ・ユニバーサルサービス料(\2[税込]/月)

Nexus 5はmicro SIMだが、今後私はnano SIM対応の端末に変える可能性もあり、nano SIMならmicro SIMにも変換アダプタで対応可能なのでnano SIMにした次第である。micro SIMをnano SIMに変えるのは大変そうなので。

ヨドバシカメラで600円くらいのnano→micro SIM変換アダプタを購入した。この変換アダプタにはSIMカード交換用の針みたいなの(名前なんていうのか、SIMの穴に挿して押すとSIMスロットがニョロっと出てくるのに使うアレ)もついてきた。

mineoから届いたSIMカードにはその交換用の「アレ」は入っていなかったので、買っておいてよかった。

で、micro SIMへの変換アダプタにmineoのnano SIMを載せて、ガッチャンコとNexus 5に挿入した。

それから、mineoのマイページから「MNP転入切替/回線切替手続き」をすると1時間ほどでY!mobileからmineoへ変更ができた。

乗り換えはWebで簡単だけど、何個か注意

で、この「MNP転入切替/回線切替手続き」だがちょっと注意しなくてはいけないことがある。

ひとつはWebでの手続き時間が9時~21時と言うことである。これは切り替えが9時から21時の間に行われるだけで、申し込み手続きは24時間対応ということではない。

この手続きページは9時から21時までの間しか使えないのである、だから手続き自体を9時~21時までの間に済まさなくてはいけない。深夜に手続きして次の日の朝9時に切り替わるみたいなことはできない。

だから仕事などでその時間に作業できない人は、仕事中にサボってmineoのページで切り替え作業をしなくてはならないのだ、手続き自体は一瞬(1分かからない)で終わるので、手続きをして1時間ほど待てばいいだけなのだが。

なお20時~21時の間に手続きをすると、切り替わるのは翌朝の9時以降になるようだ。

あと、キャリア乗り換えで問題になるというかやってから気づくのがLINEの引継ぎである、これはLINEアプリにID・パスワードを設定して使っていれば大きな問題はないようだが、まあ詳しくはLINEのページを見てみればいろいろ書いてある。

mineoの方がY!mobileより速い?

Y!mobileのSIMカードで、外出先でNexus 5を使った場合の速度とmineoでの場合の速度は、私の感じではY!mobileが特急なら、mineoは快速くらいである。

まあ遅くはない、でも速くもないと言ったところ。

Y!mobileの下り最大速度が112.5Mbpsでmineoが225Mbpsなので、mineoの方が速いようなのだが、実際にはそうではないと思ってNexus 5の設定を見てみたらmineoの設定が3G優先になっていた・・・

私は3G回線で使っていたようである、LTE優先に変更したところ速度はY!mobileと同じくらいになった、下り速度の公称はmineoの方が速いのでたぶんmineoのほうが速い、Y!mobileより。

Nexus 5Xにしなかった理由

Nexus 5の端末代金の支払いが終わり、さらに支払いが終わるのにも関わらず月額料金がほとんど変わらないので、機種変したほうが得だと思ったのもありNexus 5Xに機種変更する道を探したが結局機種変をせずにNexus 5のままキャリア乗り換えだけをした。

理由は何個かある。

ひとつはNexus 5Xがあまり魅力的ではなかったということ、Nexus 5の発売から2年経って出たのにも関わらずフラッグシップスマホとは呼べないスペック、でさらに2年前よりも高い・・・

これじゃあ買う気にならない。

もうひとつは、Y!mobileの誠意。2年前にNexus 5に変えた時は「3大キャリアを倒す!」みたいな熱意が感じられたが、自分のとこのNexus 5ユーザーを引き止める気もあまりない様子。

これではやっぱりY!mobileを続けつつNexus 5Xに変えるなんて考えにくい。

さらにもうひとつはY!mobileの月額料金、端末代を引いたら格安SIM並みの価格になるはずなのだが、そうならない、なんじゃそりゃ。

Nexus 5Xに魅力があまり無いのにY!mobileと高い契約を続ける意味が無い、だから格安SIMに乗り換えることになったんである。

課題 Androidの最新版を使う予定

で、Nexus 5X以外のよさげなスマホを探している時に一番の障壁、つまり自分の選ぶ基準で一番大事だと気づいた部分、それはAndroidのバージョンである。

あ、これよさそう!と思ってもAndroid4.4とか5.1とか書いてあるのである、機体はいいのに旧バージョンのOSかよ・・・と思ってしまう。

最新のOSを使ったことがないのであれば、そんなこと気にならないがNexus 5を使っているっつーことは最新のAndroid OSを使っているということであり、つまりそれ以下のバージョンはくすんで見えてしまうのである(実際大きな差はないんだけども)。

なので、次に買うAndroidスマホには自分で最新のOSを手動で入れる予定である。

しばらくの間、私のたわごとばかりの連載にお付き合いくださり、ありがとうございました。

ではまた。

連載終了 「NEXUS 5Xが欲しいけど」バックナンバー

  1. 「理想と現実」
  2. 「Nexus 5のままでいいのか?」
  3. 「Nexus 5、Nexus 6、Nexus 5X、Nexus 6Pのスペック比較してみた」
  4. 「Android6.0は何が変わった?フォントだよ!」
  5. 「Y!mobileでの月額料金が決定・・・」
  6. 「買わないことにした」
  7. 「買わないことにしたけど、欲しくなる」
  8. 「(Nexus 5Xが買えない)Nexus 5ユーザーに送るNexus 5Xとのスペック比較」
  9. 「さよならY!mobile」
  10. 「やっぱりさよならY!mobile」
  11. 「欲しい端末が出てきた?けど」
  12. 「ついにMNP予約番号をって、取れないじゃん・・・」
  13. 「MNP予約番号を取得!そして格安SIMに申し込んだ」
  14. 「格安SIMに乗り換え完了、Nexus 5をしばらく使う予定」
  15. 「Nexus 5の後継機はAcer Liquid Z530に」(番外編)