俺は正しく怖がっているよ

コロナウィルスの影響で3週間近くリモートワークをしていましたが、そろそろ行かないとクビになるかなと思って久々に会社に行きました。

自転車で会社まで行く

電車は密閉された空間で多くの人と一緒にいる必要があり、それは怖いので、家(調布付近)から自転車で会社(渋谷付近)まで行きました。

以前、会社の近くまで自転車で行った際、道が狭いのに車が多くて危ないので二度と行くまいと思っていたのですが、Googleマップで調べてみると住宅街を通る裏道コースでわりと簡単に行かれることが判明しました。

大きな道は環七と環八くらいで、そこも超えるだけなので危ない思いはしなさそうでした。

土地勘のない見知らぬ住宅街で迷子になるのが私は大好きなので、会社までの道はかなり楽しかったです。

少し迷うこともあったのですが、Googleマップで予習しておいたので大きな間違いはせずに1時間半くらいで会社に着いてしまった。

Googleマップでは会社まで1時間と出ていたので、2倍はかかるかと思っていたがそんなでもなかった。

もっと苦難や冒険があるかと思っていたのですがちょっと残念。

のんびり

会社に着くと、「あれ来たんだ」みたいな感じでワザワザ来なくてもクビになる心配はなかったかなという感じだった。

マスク率も思ったほど高くなく、半分くらいの人間はマスクをしていない。

なぜか会社に来るまではマスクをしていて会社に着いたらマスクを外している人もいて、なんじゃそりゃと思った。

社内で感染すると考えていないとはずいぶんおめでたい。

上司も「ちゃんと手洗い、うがい、換気もして、気が緩み始めているので引き締めて行きましょう!」と言っていたが自分はマスクをしていなかった。

なんじゃそりゃ。

感染しても大丈夫

会社の人たちと話してわかったのは、多くは自分は感染しても大丈夫だと思っているようだということ。

確かに大丈夫な可能性の方が高いかもしれないけど、治療法が確立されていないうえに実態がよくわかっていないのだから気を付けるに越したことはないと思うのだが、なんかもうとにかくノンビリしている。

いろんな情報がありすぎてわからないんだよね、ハハハ。

みたいな感じで話が終わってしまう。

私はわからないから怖いのだけど、なんというかものすごい断絶を感じる。

東日本大震災の時とはちょっと違う

今の状況と似たような状況として思い出すのが2011年の東日本大震災の時だが、あの時怖かったのは放射能で、放射能の出ているところはわかっていた。

あの時平気だったから(数十年後に重大な影響が出るかもしれないけど)、今回も普通に過ごせば大丈夫なんじゃない、みたいに思っていないかね、会社の皆さん。

“自粛”という表現はちょい違うのではないか

東日本大震災の時も”自粛”という言葉が出てきて、テレビでずっとACのCMが流れるみたいな事態になっていたが、今回も”自粛”という言葉が頻繁に出てきている。

ただ、前の大震災の”自粛”は大変な人もいるのに楽しんではいられない、という意味の自粛だった。

今回は”自粛”ではなく中止か延期という言葉を使うべきだと思う、だって危ないのだから。

あと、すごく気になるのが「いろいろな情報に惑わされずに”正しく怖がりましょう”」みたいな文句。

怖さの原因のほとんどは”わからなさ”なのであって、私は”正しく怖がっている”。

正しく怖がっている人に向かって”正しく怖がれ”というのは、ちょっと違うでしょ。

私の正しい怖がり方が間違っているのなら、正しくわかりやすく教えてください。