「仕事で成長」って、本当に必要ですか? というブログ(みたいなサイト、ニュースでもない、なんだろ)の記事が面白かった。
“成長”が目的になっちゃうと大変だよ、という話。
成長だけが正しいのか
私の今の会社のほぼ全メンバーがエンジニアかエンジニアを目指している人達である。
私は自分がエンジニアなのかエンジニアを目指している人なのかはわからないが、仕事自体はエンジニアがする仕事をしている、だからたぶんエンジニアと呼んでいいのかもしれない。
以前の会社ではデザイナと呼ばれちょっと違和感を感じたが、エンジニアにも少し違和感を感じる。
デザイナとかエンジニアとかいう言葉に含まれる「万能感」と「専門家感」みたいなものに気おくれを感じる、大いに。
で、その話は今回関係なくて、会社にはいろんな種類の”エンジニア”がいる。
- 新しい技術を追い求める人
- 新しい技術には全く興味がないが、古い技術には興味がある人
- 新しい技術に興味はあるけど勉強はしない人
- 新しい技術が嫌いな人
- 勉強の仕方がわからない人
- 全ての技術を勉強しなければならないと思っている人
- すべて勉強したつもりになっている人
- 仕事するのが嫌いな人
- 何事もなく日々が過ぎればいいと思っている人
私は”1”になりたいとは思っているが実態は”2”から”5”のどれかなのかなとも思っている。
「仕事で成長」って、本当に必要ですか?の記事で面白かった部分は、”成長”はなんらかのリスク(生活の危機)を回避するためにやっておく保険のようなもので、リスクがないのであれば”成長”って必要なものなの?”成長”が目的になるのは違うんじゃない?というところ。
“成長”が自体が目的になっちゃうというのは思い当たる節がある。今の会社は新年の挨拶で今年の目標を言わなきゃいけないのであるが、そこで「今年は新しいプログラミング言語を学びます!」なんて私は言っていた。
「今年は健康に過ごすことです」などと”9”の人が言っていて、ああこの人は”成長”したくないんだ、と心の中でバカにしていたが、”成長”はリスクのための保険という考え方をすると少し見方が違ってくる。
要は、リスクに対する対処法が人によって違うということに他ならない。
私は”成長”して強くなることでリスクに対処すると言っていて、”9”の人はリスクはできる限りよけて生きる、と宣言しているのだ。
どっちが正しいかは他人が決めることではないだろう。
バカにしてごめん。
仕事が楽しいか
私は今の仕事ではほぼプログラミングをしている。
プログラミングをしている時は非常に楽しい。
私は何かを作るという作業に楽しさを感じるから、プログラミングも楽しいのだと思う。
ただ、何かを作る作業にも楽しさを感じやすいものとそうでないものがあると思う。
前の会社で Adobe Illustrator を使ってレイアウトのデザインをしていた時は、確かに楽しさを感じる時もあるにはあったが締め切りに追われている圧迫感と、デザインセンスがある上司に私のレイアウトデザインをけなされる恐怖感があった。
残業を続けて泣きたくなりながら作業をして、なんとか終えたときは非常な満足感と達成感を感じたが、あれは楽しさとは違う。
危機を乗り越える、という事に快楽を感じたのだろう。
でも前の会社でデザインがメイン業務になる前まではプログラミングをしていた。
ActionScript という JavaScript の兄弟言語で社内には詳しい人がいなかったので、めんどくさいことを言う人もいなかった。
出来上がったものを見せても、けなされたりしないので非常に楽ちんだった。
会社も景気が良かったし、あまりビジネスに直結しない部分だと思われていたから何も言われなかった可能性も高いが、まあその時はとにかく楽しかった
ActionScript でのプログラミングの仕事は半年くらい続いた。たぶん会社的にとっては空白の半年だろう、でもそれが私の今の仕事の原動力になっている。
楽しかったけどできなかったこともたくさんあって、悔しかったが、今は ActionScript の兄弟の JavaScript を楽しく書いている。
小さいころミニ四駆いじってて楽しかったけど当時の能力じゃ限界があって、でもいまは金と経験があるから当時よりもすごい性能のミニ四駆というかラジコン買えるぞ、当時のオレ見て!
みたいな。
でも一番楽しかったのは当時であって、いまではない、それを追いかけてる感じ。
その一番楽しかったというのも、当時は気づかずに後で思い起こして気づくというような。脳がそのころの快楽を記憶しているみたいな、そんな感じ。
で、それをまた求める、みたいな感じなのです。
そういうのがなかったらあまり今のプログラミングづけの毎日は楽しくないかも。
なんか話がまとまらなかった、すまんす。