ワーニングなのか、いやウォーニングだろ

今の会社に入って初めて知ったのだが、”Warning”は”ワーニング”と読むそうだ。

同僚が開発中のWebアプリのサーバ側のログを見て、「ワーニング、ワーニング」と言っていたので、何のことかと思ったら”Warning”のことだった。

下記によると歴史的経緯というか、最初に読んだ人が間違えたのかローマ字読みをしたのかでワーニングになったようだ。

ワーニング(ウォーニング)とは - IT用語辞典 e-Words

イギリスの競走馬にも”Warning“がいるが、この馬の日本での呼び方はしっかり”ウォーニング”。

なんでワーニングになったか、誰か違うよと言わなかったのか。

cssのプロパティとしてよく使う、”width”も読み方が難しい。

“ウィドゥス”または”ウィトゥス”が英語の発音に近いようだが、”ウィズ”とか”ワイズ”とか言う人もいる。

私も最近まで”ウィズ”派だったが、英語の発音に近い”ウィドゥス”に鞍替えした。

でも”ウィドゥス”は非常に言いにくいので”width”を伝えたいときは敢えて日本語で「横幅」とか言ったりしている、これでいいのかとも思うのだがしょうがない。

こういうの気にしている私は細かいのか、でもすごく気になるんだ。

“ワーニング”と聞くたびに”ウォーニング”だろって心の中で叫んでます。

醍醐電脳 『悪忍 加藤段蔵無頼伝』

悪忍 加藤段蔵無頼伝

  • 書名: 『悪忍 加藤段蔵無頼伝』
  • 著者: 海道龍一朗
  • ISBN: 978-457566421
  • 刊行日: 2009年12月13日 第1刷
  • 価格: 838円(税別)
  • 発行: 双葉文庫
  • ページ数: 507
  • 形態: 文庫

本作は鳶加藤または飛び加藤とのあだ名を持つ加藤段蔵が主人公の歴史忍者小説である。

悪忍というタイトルだけあって、ダークヒーローの加藤段蔵が朝倉家の越前や長尾家の越後で暴れまわるのだが、本作ではその内容も吹き飛ぶすごい誤植があった。

それが下記。

電脳

左ページの8行目の中段に注目、「天皇」じゃなくて「電脳」。

醍醐天皇が「醍醐電脳」である。

「てんのう」とタイプしたかったところ、手が滑って「でんのう」と入力してそのまま気づかずにスペースキーを押して、「電脳」になってしまったのだろう。

でも気づかないのか、これ。

作者が入力したデータがそのまま使われているのか、誰かが打ち直している時に間違ったのか、それとも校正時に間違って直してしまったのか、どこで「電脳」が紛れ込んだのか。

竹生島とか天女とか竜神とかが出てくる昔話風のページ、ここに「電脳」。

すばらしい違和感。

昔話がいきなりSF。

私が読んだのは第1刷なので2刷以降では修正されているのかも気になる。

話自体は、先が気になる終わり方だった。

調べてみると続編『修羅 加藤段蔵無頼伝』が出ている、こっちにも強烈な誤植があるとうれしい。

電車の中で読む本は

最近、電車での通勤時、技術書を読むことが多くなった。

主に会社で購入してもらったオライリー(O’Reilly)のWeb技術系の本である。

今までは電車の中では文庫本しか読まなかったのだが、勉強をしないとやばいのではないかと思い始め、どこで技術書を読むのかと考えたときに結局通勤電車の中で読むのが一番集中できるし手っ取り早いということになった。

本がでかくて重いのでかばんも重くなってしまうのがイヤなのだが、まあしょうがないと思い読んでいる。

文庫本と違い、デカいので混雑した車内では読みにくくなるのだが最近は慣れた。

でも困っていることがある、ブックカバーが無いことだ。
本がでかいのでそれに被せるような大きなカバーがないのだ。

私は読んでいる本のタイトルを他人に見られるのが裸を見られるよりも圧倒的に恥ずかしい、だから文庫本にもカバーをかけて読んでいるのだが技術書にはかけられない場合がある。

だから泣く泣く裸のまま取り出して読んでいるが、パンツはいてないみたいで恥ずかしいんだよ。

本のタイトルが『サルでもわかるJavaScript 初級編』とかだと、あ、コイツ初心者だ!とか思われているんではないか?と、まあ初心者なんだけどね。

以前京王線の新宿行きに乗っていたとき『女の機嫌の直し方』という本をカバーをかけずに読んでいたおっさんがいたけど、あれはちょっとアホなおっさんだったのか、それとも宣伝だったのか、おっさんスゲーなと思う。

フワフワした依頼

会社で後輩2人と打ち合わせをしていたのだが、仕事上での私の失敗談で盛り上がった。
というか、その失敗がいかに大変だったかを私が後輩に愚痴っているというのが正しい。

色んなエピソードを話しているつもりだったが、すべてのエピソードに共通しているのは、いかに仕事が適当に投げられてこちらに飛んで来て大変なことになるか、みたいな話が多いことに気づく。

つまり、フワフワした依頼をこちらでしっかりとキャッチして「これってこういうことですよね?」とまとめてあげなくてはならないということだ。

そもそも、仕事ってそういうものかもしれない。

後輩2人へ、先輩の愚痴を聞いてくれてありがとう。

渋谷のブックオフがなくなっていた

仕事が早い時間に終わったので会社の近くにある渋谷センター街のブックオフに行ったら、GUになっていた。

調べてみると2018年の7月に閉店していたようだ。

無くなってから半年以上気づかなかった、さらに私は半年以上センター街に行っていなかったっつーことだ。

ブックオフの存在を知ったのは私が大学生の頃だが、そのときは黄色い下品な看板で、八百屋みたいに威勢よく本を売っていたので敬遠していたが、100円コーナーに掘り出し物があるのに気づいてからは1ヵ月に1回くらいは通っていた。

私は渋谷のブックオフが潰れたことに気づくのに半年以上かかったが、半年に1回すら来ないようなお客さんばかりだったらそりゃ潰れるだろう。

初めてブックオフに入ったとき、なんだか汚いなと思ったのだが、ブックオフにはいまだにその感じが残っている。

それはある意味すごい事で、上場してもこなれた感じが出てこないのである。別にけなしているわけではない、ブックオフの汚い感じみたいなのを私は今は嫌いではない。

ブックオフに入るとドヨーンとした空気と特有のニオイ、これも私は嫌いではない、何と言えばいいのだろう、落ち着くというか親戚の家というか何というか。

さらにマンガの棚の前にズラーっと並んで立ち読みをしている老若男女。ホントに何て言えばいいのだろう、これは2019年の光景ではないような感じがするのだ。

コンビニに入るとおでんのニオイがプ~ンとして、雑誌コーナーで立ち読みする老若男女、みたいな光景と被るのだ。
懐かしいでしょ。

ブックオフに入ると、これは現代なのか?と私はタイムスリップしてしまったのか?と思ってしまうのだ。

店内をキラキラとキレイにしてインスタ映えしそうな感じにするか、中野ブロードウェイのまんだらけみたいな感じの魔窟を目指すかしないとブックオフは生き残れないのではないのだろうかとも思う。

でも、このままの少し汚い感じとドヨーンとニオイは残してほしいな。

打ち合わせは何分が妥当なのか、そして声の大きさは

会社で同僚と自席で仕事の打ち合わせをしていたのだが、打ち合わせが終わったあと会社の上司から「打ち合わせが長くなる場合は会議室を使え、話し声がうるさい」というメールが来た。

今勤めている会社は、IT系の会社で社員たちは自席でシコシコとプログラミングをしていて、キーボードの音以外はあまり音のしない静かな会社である。

だから、打ち合わせというか仕事の話をしていると周りからは何の話をしているのかがわかるくらいにはバックグラウンドは静かである。

だからと言って打ち合わせの声がうるさいと言われたらたまらない、会社で話ができないということのなのか。

こっちは大声を張り上げて罵り合っているわけではない、隣に聞こえれば十分な程度の声の大きさである。

静かな環境だから気になる人もいるのだろうけど、仕事の話を注意されるとは思わなかった。

色々言いたいこともあるし、メールじゃなくて直接言ってくれよと思うのだけども、会社には色んな人がいるよなほんと。

以上。

電車の中で読むべし 『パンク侍、斬られて候』

  • 書名:『パンク侍、斬られて候』
  • 著者:町田康
  • ISBN: 978-4043777037
  • 刊行日:2006年10月
  • 価格:-
  • 発行:角川文庫
  • ページ数:360
  • 形態:文庫

「爆笑の時代劇だ!」と聞いていたので、文庫になったら読もうと思っていて遂に読んでみた。

町田康は「マチダヤスシ」だと思っていたのだが、どうやら「マチダコウ」だという事がわかった。

作家の名前の読み方を間違えるという事はよくあるが、正しい名前がわかった時になんだか損した気分になるのは私だけだろうか。

設定は時代劇でありながら、登場人物達は現代の言葉と文化を身につけている。

だから刀を差した浪人がフランク・ザッパやボブ・マーリィの事を唐突に話し出したりするのである。

仕事に行く途中の電車で読み始めたのだが、笑いを堪えるのがとても苦しかったので家で読むことにした。

だが家で読むと、たしかに笑えるのだが、爆笑とまではいかないことに気づいた。

けして『パンク侍、斬られて候』が面白くないというわけではなく、電車という一人で笑っていてはマズイ場所で読むというスリリングな快感がなくなってしまったのだ。

私の敬愛する「かなざわいっせい」というおじさんが、本は立ったまま読むのがよろしいと言っていたのだが、たしかにその通りだと思う。

私も電車のドアの脇に立って、あのドア脇の手すりのような部分に寄りかかって本を読む時が一番読書に集中できる。

家にいると、パソコンやらテレビやらと読書中の私を誘惑してくるものが多いのだ。

電車だとせいぜい車窓の風景を眺める事くらいしかやる事がない(私はスマホは車内ではできる限り見ないようにしている)、さらにまわりは他人ばかりなので読書をする事で他人ばかりの外の世界から自分だけの世界に入り込めるという効果もある。

電車の中で笑いを苦しみながら堪えて無理にでも読み続ければさらに面白かったのではないか?と思っている。