自転車通勤は気を付けて行こう

自転車で会社に行き始めた。

住宅街をノロノロと行くので1時間半くらいかかるが、いろんな建物があって楽しいし、毎回道に迷いかけるのが非常にスリリング。

大通りを行けば楽なのだが、大通りは道に迷わないのでワクワクしないし、危ない。

何回か大通りに出なければいけないのだが、バスにトラックに車も飛ばしているのでまあ怖い。

30歳の時に車の免許を取ってからだが、車がというか道路を車が通るということが非常に恐ろしいことであるということに気づき、それ以来道路を歩くときとか自転車で走るときは安全第一にしている。

1時間以上自転車に乗っているので1時間の中で1回は、あ、危なかったかもということがある。

ちょっと間違っていたら車と接触してたなとか。

コロナ対策で自転車で行っているのに自転車で事故ったら笑えないので気を付けないといけないねという特に内容のない話ですいま千円。

俺は正しく怖がっているよ

コロナウィルスの影響で3週間近くリモートワークをしていましたが、そろそろ行かないとクビになるかなと思って久々に会社に行きました。

自転車で会社まで行く

電車は密閉された空間で多くの人と一緒にいる必要があり、それは怖いので、家(調布付近)から自転車で会社(渋谷付近)まで行きました。

以前、会社の近くまで自転車で行った際、道が狭いのに車が多くて危ないので二度と行くまいと思っていたのですが、Googleマップで調べてみると住宅街を通る裏道コースでわりと簡単に行かれることが判明しました。

大きな道は環七と環八くらいで、そこも超えるだけなので危ない思いはしなさそうでした。

土地勘のない見知らぬ住宅街で迷子になるのが私は大好きなので、会社までの道はかなり楽しかったです。

少し迷うこともあったのですが、Googleマップで予習しておいたので大きな間違いはせずに1時間半くらいで会社に着いてしまった。

Googleマップでは会社まで1時間と出ていたので、2倍はかかるかと思っていたがそんなでもなかった。

もっと苦難や冒険があるかと思っていたのですがちょっと残念。

のんびり

会社に着くと、「あれ来たんだ」みたいな感じでワザワザ来なくてもクビになる心配はなかったかなという感じだった。

マスク率も思ったほど高くなく、半分くらいの人間はマスクをしていない。

なぜか会社に来るまではマスクをしていて会社に着いたらマスクを外している人もいて、なんじゃそりゃと思った。

社内で感染すると考えていないとはずいぶんおめでたい。

上司も「ちゃんと手洗い、うがい、換気もして、気が緩み始めているので引き締めて行きましょう!」と言っていたが自分はマスクをしていなかった。

なんじゃそりゃ。

感染しても大丈夫

会社の人たちと話してわかったのは、多くは自分は感染しても大丈夫だと思っているようだということ。

確かに大丈夫な可能性の方が高いかもしれないけど、治療法が確立されていないうえに実態がよくわかっていないのだから気を付けるに越したことはないと思うのだが、なんかもうとにかくノンビリしている。

いろんな情報がありすぎてわからないんだよね、ハハハ。

みたいな感じで話が終わってしまう。

私はわからないから怖いのだけど、なんというかものすごい断絶を感じる。

東日本大震災の時とはちょっと違う

今の状況と似たような状況として思い出すのが2011年の東日本大震災の時だが、あの時怖かったのは放射能で、放射能の出ているところはわかっていた。

あの時平気だったから(数十年後に重大な影響が出るかもしれないけど)、今回も普通に過ごせば大丈夫なんじゃない、みたいに思っていないかね、会社の皆さん。

“自粛”という表現はちょい違うのではないか

東日本大震災の時も”自粛”という言葉が出てきて、テレビでずっとACのCMが流れるみたいな事態になっていたが、今回も”自粛”という言葉が頻繁に出てきている。

ただ、前の大震災の”自粛”は大変な人もいるのに楽しんではいられない、という意味の自粛だった。

今回は”自粛”ではなく中止か延期という言葉を使うべきだと思う、だって危ないのだから。

あと、すごく気になるのが「いろいろな情報に惑わされずに”正しく怖がりましょう”」みたいな文句。

怖さの原因のほとんどは”わからなさ”なのであって、私は”正しく怖がっている”。

正しく怖がっている人に向かって”正しく怖がれ”というのは、ちょっと違うでしょ。

私の正しい怖がり方が間違っているのなら、正しくわかりやすく教えてください。

仕事が楽しいか

「仕事で成長」って、本当に必要ですか? というブログ(みたいなサイト、ニュースでもない、なんだろ)の記事が面白かった。

“成長”が目的になっちゃうと大変だよ、という話。

成長だけが正しいのか

私の今の会社のほぼ全メンバーがエンジニアかエンジニアを目指している人達である。

私は自分がエンジニアなのかエンジニアを目指している人なのかはわからないが、仕事自体はエンジニアがする仕事をしている、だからたぶんエンジニアと呼んでいいのかもしれない。

以前の会社ではデザイナと呼ばれちょっと違和感を感じたが、エンジニアにも少し違和感を感じる。

デザイナとかエンジニアとかいう言葉に含まれる「万能感」と「専門家感」みたいなものに気おくれを感じる、大いに。

で、その話は今回関係なくて、会社にはいろんな種類の”エンジニア”がいる。

  1. 新しい技術を追い求める人
  2. 新しい技術には全く興味がないが、古い技術には興味がある人
  3. 新しい技術に興味はあるけど勉強はしない人
  4. 新しい技術が嫌いな人
  5. 勉強の仕方がわからない人
  6. 全ての技術を勉強しなければならないと思っている人
  7. すべて勉強したつもりになっている人
  8. 仕事するのが嫌いな人
  9. 何事もなく日々が過ぎればいいと思っている人

私は”1”になりたいとは思っているが実態は”2”から”5”のどれかなのかなとも思っている。

「仕事で成長」って、本当に必要ですか?の記事で面白かった部分は、”成長”はなんらかのリスク(生活の危機)を回避するためにやっておく保険のようなもので、リスクがないのであれば”成長”って必要なものなの?”成長”が目的になるのは違うんじゃない?というところ。

“成長”が自体が目的になっちゃうというのは思い当たる節がある。今の会社は新年の挨拶で今年の目標を言わなきゃいけないのであるが、そこで「今年は新しいプログラミング言語を学びます!」なんて私は言っていた。

「今年は健康に過ごすことです」などと”9”の人が言っていて、ああこの人は”成長”したくないんだ、と心の中でバカにしていたが、”成長”はリスクのための保険という考え方をすると少し見方が違ってくる。

要は、リスクに対する対処法が人によって違うということに他ならない。

私は”成長”して強くなることでリスクに対処すると言っていて、”9”の人はリスクはできる限りよけて生きる、と宣言しているのだ。

どっちが正しいかは他人が決めることではないだろう。

バカにしてごめん。

仕事が楽しいか

私は今の仕事ではほぼプログラミングをしている。

プログラミングをしている時は非常に楽しい。

私は何かを作るという作業に楽しさを感じるから、プログラミングも楽しいのだと思う。

ただ、何かを作る作業にも楽しさを感じやすいものとそうでないものがあると思う。

前の会社で Adobe Illustrator を使ってレイアウトのデザインをしていた時は、確かに楽しさを感じる時もあるにはあったが締め切りに追われている圧迫感と、デザインセンスがある上司に私のレイアウトデザインをけなされる恐怖感があった。

残業を続けて泣きたくなりながら作業をして、なんとか終えたときは非常な満足感と達成感を感じたが、あれは楽しさとは違う。

危機を乗り越える、という事に快楽を感じたのだろう。

でも前の会社でデザインがメイン業務になる前まではプログラミングをしていた。

ActionScript という JavaScript の兄弟言語で社内には詳しい人がいなかったので、めんどくさいことを言う人もいなかった。

出来上がったものを見せても、けなされたりしないので非常に楽ちんだった。

会社も景気が良かったし、あまりビジネスに直結しない部分だと思われていたから何も言われなかった可能性も高いが、まあその時はとにかく楽しかった

ActionScript でのプログラミングの仕事は半年くらい続いた。たぶん会社的にとっては空白の半年だろう、でもそれが私の今の仕事の原動力になっている。

楽しかったけどできなかったこともたくさんあって、悔しかったが、今は ActionScript の兄弟の JavaScript を楽しく書いている。

小さいころミニ四駆いじってて楽しかったけど当時の能力じゃ限界があって、でもいまは金と経験があるから当時よりもすごい性能のミニ四駆というかラジコン買えるぞ、当時のオレ見て!

みたいな。

でも一番楽しかったのは当時であって、いまではない、それを追いかけてる感じ。

その一番楽しかったというのも、当時は気づかずに後で思い起こして気づくというような。脳がそのころの快楽を記憶しているみたいな、そんな感じ。

で、それをまた求める、みたいな感じなのです。

そういうのがなかったらあまり今のプログラミングづけの毎日は楽しくないかも。

なんか話がまとまらなかった、すまんす。

潔癖症は大変

床にモノが落ちるとアルコール除菌のティッシュで拭く。

友達が帰った後、ゲームのコントローラをアルコール除菌のティッシュで拭く。

コンビニで買ってきた雑誌も家に着いたらすぐにアルコール除菌のティッシュで拭く。

床に落ちたものを拾ったとか、少し汚れが付いたなと思っただけで石鹸で手を洗い、新しいタオルで手を拭きそのタオルを洗濯カゴに放り込む。

1日で洗濯カゴはタオルで溢れ、手は石鹸の残りかすで真っ白になる。

コロナウィルスの影響でアルコール除菌のウェットティッシュが店から無くなるはるか以前に私は大量のアルコール除菌ティッシュで家の中を拭きまくり、手を洗いまくっていた。

それが始まったのは登校拒否になった中学2年生の時だ。

当時は潔癖症という言葉自体あまり一般的ではなかったと思う、いや、一般的だったかもしれないが、私はその言葉をよく知らなかった。

ただ自分がちょっとイっちゃってるなという感覚はあり、家族を除く人前ではアルコール除菌のティッシュで何かを拭くというのは見られたら恥ずかしい行為だと思っていた。

自分の変な性癖を見られるようなそういう恥ずかしさである。

自分は少し汚いものにも耐えることのできない、弱い人間であると思っていた。

だからそれを人に見せることが怖かったし、自分の潔癖症は治さなくてはならないものだった。

電車のつり革にも掴まれなかったし、外でトイレに入れなかった、宿泊施設の風呂などもできれば入りたくなかった。

外出先でおしっこは何とかできたが、うんちをしたくなると家まで我慢、というのが30歳になるくらいまで続いた。

つまり自宅を出て外で活動をしていく際に困ることがたくさんあった。

このままではヤバイと思ってはいたのでアルコール除菌のティッシュの使用は少しずつ減らし、石鹸で手を洗うのも少しずつ減らしていった。

やっとなんとか外出先でもうんちができるようになったときはかなり感慨深かった。

潔癖症がひどいままではまともな人間になれないと強く信じていたので、なんというか大人になった、というか、やっと普通な人間になった!と、トイレの個室で一人で感動した。

新型コロナウィルスの影響が今後どうなるかはわからないが、今回の一件でアルコール除菌と手洗いに目覚めちゃう人に教えたいのはやめるのがとても大変ということである。

頻度は減ったがいまだにこっそりアルコール除菌ティッシュでいろいろ拭いているよ、私は。

拭かなきゃいけないと思っちゃうと、ずっとそのことが頭の中に残る、結構疲れるんだ。

豪華な自室

いつも夢に出てきていた豪華な自宅が建て直しをしたようだった。

以前は豪華だけど排水がちゃんとできない汚い風呂場があったのだが、今回の夢ではその風呂場の存在が確認できなかった。

汚かったので風呂場そのものを取り払ったのかもしれない。

豪華な自宅には初めて自分の部屋ができた、名前はわからないが茶色い豪華な木材が使われているような部屋だった。

モノもたくさん置ける。

いい部屋だ。

でも何故か小学校の同級生が布団で寝ていた。

俺の部屋だから出て行けとは言えなかった。

在宅勤務2週間

コロナウィルス対策の在宅勤務を始めて2週間経ちました。

孤独感は強いが、まあなんとかなっています。

ただ、今日誰が来ていますか?とか○○さんは帰りましたか?などと会社にいる同僚にslack越しに聞かないと業務が成り立たない場面もあり、完璧なリモート勤務は難しそうです。

直にコミュニケーションを取らないとまずい業務がたまってきて、来週からは自転車で会社まで行こうかと考えています。

自宅から会社のある渋谷付近まで、自転車で行ったことがあるのですが、環八を超えてからの道の狭さと道路の怖さを体験して二度とやるまいと思っていました。

ただ、改めて自宅から会社までの道のりを地図で調べると車通りの少ない抜け道が結構ありそうなことがわかったので来週はその新しいルートで行ってみようかなと思っています。

ちょっと楽しみ。

ひとりぼっち感

コロナ対策で在宅で勤務しているのですがひとりぼっち感が結構あります。

家族がいるのでなんとか耐えられますが、これ、一人暮らしとかだったらかなり精神的に落ち込むかもしれませんね。

さらに、会社に行っている時よりも私はちゃんと仕事をしている気がします。

サボろうと思えばサボれるのでしょうが、なんというかそれは私の良心が許してくれません。

良心というとかっこいいですが、下手するとクビになっちゃうかもという変な心配です。

リモートワークだと生身の人間と向き合っていない不安感みたいなのから、サボったらクビになるのではないかという気持ちがドンドコ膨らんで結局マジメに働いてしまいます。

この感じ、世の経営者達に気づかれると結構やばいかも。

リモートワークの方が社畜を作りやすいと思います、ハイ。