【続】 私はunko派

以前私はunko派という記事を書いた。

今回の記事はその続報です。

2019年時点の”unko”と”unco”のGoogleにおける検索結果数は下記の通りであった。

  • 2019年11月19日くらい
    • “unko”: 21,400,000件
    • “unco”: 22,700,000件

unco派が100万ポイントくらいリードしていた。

  • 2021年6月24日
    • “unko”: 3,860,000件
    • “unco”: 3,690,000件

だが、しかし今回はunko派が10万ポイントくらいリードしている。

unkoが逆転した。

ん、待てよ、そもそもunkoもuncoも全体で一桁分ポイントが減っている。

Googleの検索結果数はかなり適当なので、そもそも信用していいのかわからないものだが一桁もポイントが下がるとは尋常ではない。

大丈夫か。

で、気になったのが前回の記事でも紹介した株式会社うんこである。

この会社は生粋のunco派であり、unco派の筆頭である。何故なら会社のサイト名がunco.co.jpなのだ。

久々にページを見てみると、うんこTシャツを着た人たちのイラストは変わっていない、”うんこ発射”ボタンも健在だ。

会社概要も変わっていない、よかった、元気そうだ。

公式ショップには可愛いうんこのマスクやTシャツが出品されている。

ボーナスも出たことだし買ってしまおうか。

サイトを見ていて、うんこ新聞というページを見つけた。

前もあったような記憶があるが、発行日が書いてないので前に見たとき(2019年の11月)にあったのかはよくわからない。

株式会社うんこの社長が書いているようで、不定期で連載されているようだ。

PCのお絵かきソフトで書いたような絵と縦書きの文字で構成されていて、学級新聞のような感じ。

これが非常に面白い、「うんこ新聞 その16」のサイゼリヤみたいなレストランでの話しかちゃんと読んでないが、残りを読むのが非常に楽しみである。

私は株式会社うんこの社長はこの新聞を世に出したかっただけでこの会社を立ち上げたのではないのか?ぐらいの勢いのあるなんかを感じる。

今後にさらに期待、ぶりっ。

東京オリンピックやるのか問題

東京オリンピックの開催予定日まで1か月を切った。

このままなし崩し的に開催となってしまうのだろーか。

「1964年のオリンピックの夢を今に」みたいなのがとってもとってもダサい、高度経済成長期に成功したイベントを今やることによって景気をよくして不況を脱出する!みたいなのがほんとにダサい、ダサすぎて私はうんこが漏れそうになる。

私は1964年のオリンピックも経験してないし、さらにロストジェネレーションとか言われて腹が立っている世代なので、そんなもんいらない。

私は別にやりたい人だけでやってれば文句ないのだが、今はコロナが流行っている。

コロナが流行してないなら私には無関係なので自由にやってくださいということなのだが、こちらは1年以上リモートワークを続けていて外食なんかもほとんどしてない。

オリンピックを開催して流行がさらに拡大したら籠っていなければいけない期間がさらに延びる、そのことに私は怒ってる。

あと、「偉大だった日本を取り戻す!」みたいな雰囲気がもうホントにイヤだ。

まず、そもそも偉大だったのか?

何で偉大じゃなきゃいけないの?

それって、大日本帝国がアジア太平洋地域で戦争を拡大させていったのと同じような考え方だよね。

オリンピックやるくらいなら横浜博覧会でももう一度やってくれ。

私はあの時小学校4年生だった。父と横浜のみなとみらいに行って非常に楽しかった思い出がある。

あの時はバブルがはじける前で、世の中には「希望」と「夢」が溢れているみたいに少年時代の私には見えていた。

って、でも、やっぱそいういノスタルジーというか、昔はよかった、懐かしいねーみたいなのを国をあげてやったらダメだよね。

ヘッダーの背景画像を消した

このサイトを始めた頃よりヘッダーに背景画像を表示していた。

自分の撮った写真を使っていたがどうにもダサい気がするので外すことにした。

下記がヘッダーに背景画像の表示されている旧表示。

旧ヘッダー

そしてこちらが背景画像を取り去ったヘッダー。

新ヘッダー

うーん、なんかモサイ気がする。

でサブタイトルをちょっと怪しい感じで入れてみた。

新ヘッダー2

うん、少しだけよくなったような気がするような気がするような気がする。

自分のブログだから自分で考えて、自分で作って自分で評価するので正直よくわからない。

仕事でもデザインをする機会が減ってきているのでどうにもトレンドとかにも疎くなりがち、まあすぐ変えるかもしれないけどしばらくこれで行きます。

「かと」で止めるのは止めたほうがいいかと

私が今働いている会社ではSlackメッセージのやりとりで業務を進めている。

で、最近同僚とSlackでやりとりをしていてイラっとした。

こんなメッセージを受け取ったのだ。

パターンA
  • 私: これって●●●でしたっけ?
  • 同僚A: そうです。なので、▲▲▲おく必要があるかと
パターンB
  • 私: サーバー落ちてますね。原因わかりますか?
  • 同僚B: ▲▲▲が原因かと

私が質問すると、「かと」で返ってくるのだ。

「かと思います」と書くところを「思います」を抜いて「かと」だけで済ましているのだが、で、どうなのよと私は言いたい。

「かと思います」という表現自体、理由が分かるだけでその後どうしていくかという今後の方針を意図的に隠してしまっている。

それをさらに「思います」を削っちゃったらどうなのよ。

私も同僚も問題の当事者だと思うのだが「かと」で止められると、「文脈を想像してみろよ、俺様が教えてやるからお前がやれよ」と暗に言われれているようだ。

何故止めるのか

文章を読んでいる時に「かと」が出て来ると、そのあとに何らかの言葉が来ると思ってそれを期待するのだがそれが無い。

なので脳みそはそのあとを想像してしまう。

小説じゃなくて業務上のやりとりなんだから、できる限り相手に対して解釈の余地を残さないようにしないといけないのになんでそういう言い方するの?

私のようにこれにイライラしている人が他にいないかとネットで調べてみると、こういう文章の書き方をしたり止めというらしい。

「はてなブログ」のタグのページなので本当なのかふざけているのかはよくわからないが「したり顔が浮かぶような顔で文章を止める」というのはよくわかる。

何故に質問に対してしたり顔になって答えるのか。

読む側を余計にイライラさせるので、「かと」は使わないほうがいいかと。

以上。

ワーニング問題に新たな局面

以前の記事で”warning”は「ワーニング」ではなくて、「ウォーニング」ではないかと言うことを書いたが、いまだに私の周りは「ワーニング一派」で固められていてイライラしている。

最近は会社のメンバーが”false”のことを「ファルス」と言っているのを聞いて、うーむとうなってしまった。

私みたいに細かいことを言っている人は会社にはいないので私だけがモヤモヤしているのだが、やっぱ元の言語に近い発音で言おうよ。

と思っていたらあることに気づいた、最近よく触れることの多いJAVAの”.war”ファイルのことを私は「ワー」ファイルと読んでいた。

よく見てみると、というか綴りからしてこれは「ウォー」である可能性が高い。

調べてみると確かに「ウォー」。

私は知らないうちに「ワーニング」一派と同じ読み方をしていた。

厳密に考えすぎると色々精神的に辛いのではないかと思いつつ、明日から”.war”ファイルのことを何て呼ぼうか迷っている。

※この投稿のURLが https://www.tanokatu.com/2021/05/16/kso-waring/ となっていたので修正しました。”waring”ってなんだ。

検温しても体温を忘れる問題

去年(2020年)の春の緊急事態宣言くらいから私の所属している会社では業務開始時に体温を報告することになった。

リモートの人も出社している人もslack経由で勤務開始の旨と体温を報告する。

私はたびたび検温を忘れてしまい勤務開始時に狼狽しているのだが、そもそも検温したとしても体温を覚えていないことも多くさらに狼狽する。

私は検温を忘れた場合は速やかに常に携帯している体温計をさっと取り出し検温をしているのだが(半分以上ウソ)、世の大半の方々(私以外の人々)はおそらくというかたぶんというか確実に適当な体温を書くことであろう。

私もその気持ちがわからないでもないというかよくわかるというか身に染みてわかるというか、「わかるわかる、それよくやるよね」なんて思うのだが、その場合その体温報告自体に意味はあるのであろうか。

そのことが気になって夜も眠れないし、それが原因で体温が上がり検温を忘れてしまいそうになる。

おそらく適当な体温を報告している多くの人々(私以外)は、適当な体温報告がばれるのを恐れて不眠症になっていることだろう。

そういえば最近私の所属している会社のメンバーたちの勤務開始時間が以前よりも遅くなっているような気がする、やはりみんな適当な体温を報告して、それがばれるのを恐れて不眠症になっているのだ。

適当な体温報告は控えめにした方がいいと、その人たち(私以外)に私は言いたい。

リモート勤務祝1周年

去年の4月の緊急事態宣言の前あたりからリモート勤務を始めてから1年が経過した。

リモート勤務とはいっても緊急事態宣言が出ていない時期は週1程度で会社に行っていたので完全リモートではない。

去年の今頃はさすがに来年にはなんとかなっているかと思っていたが状況はほとんど変わらず。

オリンピックをやるために緊急事態宣言を小出しにしているようだがアホなのか。

オリンピックの経済効果はわかるのだがそこまで意地にならなくても新規感染者数が1日xxxx人になったらやりますとか言えばいいのに、コロナが流行ってから「具体的な数字」を出すみたいなことがとってもおろそかにされている気がする。

オリンピックの銭勘定ができるんならそれぐらい簡単でしょって思うのだけど、そうもいかないのかってアホなのか。

「1964年の東京オリンピックの夢を再び!」みたいな感じも強烈にダサいし、オリンピックの2週間(1か月?)のためになんでこんなに我慢、というか不自由な思いをしなければならないのか。

  • A. 外出禁止 => 補償金は出すよ
  • B. 外出しろしろ => ワクチンはあるよ

おそらく上記のAかBを提示してくれたら安心できるのだが、AもBも実現されてない。

  • C. オリンピックやらないと景気がよくならなさそうだから(やってみないとわからんけど) => モロモロ我慢してね

今はCの方針に基づいて作った「お願い」を大本営発表みたいに垂れ流してるだけ。

大丈夫か、コレ。

大丈夫じゃないよね。

来年の今頃リモート勤務2周年を祝ったり寿いだりはしたくないよ。

映画の専門学校に入った

映画の専門学校に入学した。

授業には何回か出たのだが、単位が取れるのか心配になり始めた。

さらに、自分のお金ではなく親にお金を出してもらっていることもうしろめたくなってきた。

目が覚めた。

映画学校のパターンは初めてだ、今までの単位が取れない夢は中学・高校・大学のどれかだったが専門学校は初めて。

ただ映画学校だからと言って、特にそれっぽい演出がされなかったのが気になる。

授業に使うカメラが見つからないみたいな展開にはならなかった。

今回は漠然と単位が取れない不安だけを感じている夢だった。

もうちょっと起伏があってもよかったのに、私の頭が疲れているのか。

リモートだとすぐに連絡つかない問題

週に4日くらいは家でリモートワークをして、残りの1日出社している。

家でやっている時は気づかなかったのだが、会社からリモートワーク中の同僚と急ぎの会話をしたいとき結構もどかしいことに気づいた。

お互いが会社にいる場合は同僚の席まで行って聞きたいことを聞けばそれで済むのだが、slack越しでやり取りをしているとどうにも間延びしてしまう。

早くしてくれと思ってしまう。

ずっと会社に来ている上司は「連絡がすぐにつかないし何やってるかわからん」と以前言っていた。

その時は「この人は何を言っているのだ」と思ったのだが今ならその気持ちがよくわかる。

コロナ前より報告とか打ち合わせが極端に少ない会社だったのでプロジェクトがなんとか回っているのが不思議だったが、リモートになり報告と打ち合わせはもっと減った。

大丈夫なのかな?と思ってはいたのだが、たぶんこれは大丈夫ではなさそう。