16:30
渋谷の東横線のホームから横浜方面の電車に乗る。
発車チャイムがニュース番組のオープニングみたいな仰々しい音楽で、さらには音がすごくでかい。
発車チャイムはプルルルでいいのに。
16:45
日吉で新横浜線に乗り換えようと思っていたのだが、こっちの電車が到着と同時に新横浜線が出発した。
うーむ。
日吉は新横浜線への乗換駅なのに特急も止まらずなんというかちぐはぐ。
20:00
帰りの電車で読んでいた本が終わってしまう。
10分ほどの空白の時間。
じっと車窓を見る。
今日も引き続き電車の中で本の雑誌2023年5月号(目黒孝二追悼号)を読む。
沢野ひとしが梅が丘の目黒孝二のアパートを突然訪ねた話を書いていた。
気づいたら明大前に着いていた、ここから梅が丘はすぐだなと思った。
笹塚日記の最後の回が再録されていた、読んでいてこの回を読んだ記憶がよみがえってきた。
当時の私は笹塚日記を飛ばし読みしていた、書いてあることがすごくそっけないように感じられたのだ。
でも15年ほど前の笹塚日記最終回はそっけない感じはあまりなかった、結構面白いじゃないか。
当時の私は日記に興味がなかったのか。
駅前の本屋で「本の雑誌」10月号を買う。
770円なり。
私がここらへんに引っ越してきてあともう少しで10年経つが、駅前の本屋は3軒あったものが2軒になってしまった。
この本屋は本店がつぶれて今はここが本店?になったようだ。
売れているのか売れていないのかわからない感じでもっと続いてほしいが、どうなるだろうか。
今日も電車の中で本の雑誌2023年5月号(目黒孝二追悼号)を読む。
目黒孝二(藤代三郎)の「馬券の真実」の競馬仲間として座談会に出ている中に田口俊樹の名前が。
オルタード・カーボンの訳者だよなと思ってWikiを見てみたら確かにそうだった。
タケシ・コバッチと田口俊樹の名前は私の頭の中で隣同士になっている。
SF専門の訳者だと思っていたがWikiを見る限りだとSfはオルタード・カーボンくらいなのかもしれない。
田口俊樹の藤代三郎との競馬場での話が面白かった。
私は競馬場は一人で行っているが本当はこういう人たちと一緒に馬券を買えたらと思う。
会社の一部メンバーに対して私から一方的にギスギスしていたが、ちょっと雪解け。
気に入らない主張があってもできる限り仲良くはしていかなくてはいけない。
それがネトウヨであっても。
まだよくわからないけど。
電車の中で本の雑誌2023年5月号(目黒孝二追悼号)を読む。
本の雑誌は20年近く読んでいる雑誌なので、北上次郎名義の新刊めったくたガイドも20年近く読んでいたことになる。
府中競馬場で1回くらい目撃したかったけどそれももうかなうまい。
このサイトも目黒孝二と椎名誠の周辺にあこがれて始めた映画研究会が元になってるのだけども、そんなことは誰も知らないだろうな。
仕事で必要になったPCのパーツを渋谷まで降りて買ってきた。
神泉から渋谷に降りるのは数か月ぶり、新しくなった知らない店がまた違う知らない店に変わっていた。
本当に何も定着しない街ですね。
私は渋谷が嫌いだ、新宿が好きだ。
今日は会社へ行く。
昨日と一昨日はリモート勤務だった。
3日ぶりの出社だ、2日家から出ないと体がなまる。
電車の中で本の雑誌2023年4月号を読む、巻頭の本屋大賞特集が面白い。
データとして本のサイズや重さ、印刷所と製本所、本の素材や本文のフォント、文字サイズ文字組みまで載っている。
気になったのが最初のページの”4月12日明治記念館13時「出走」”の文言。
たぶん書きたかったのは「発走」だろう。
駅で降りてすぐ近くにある小さなスーパーへ。
店員A「私、今日午後からイオンの健康診断なんだよね」
店員B「午後からは請け負いさんと新人君だけなんですね」
という会話が聞こえてくる。
「イオンの健康診断」と「請け負いさん」という二つの単語が気になる。
いつもの定時の打ち合わせで福島の汚染水の話になった。
ネトウヨの同僚はいつものように中国に対して上から目線な感じの意見、いつも中立を装う同僚もネトウヨさんと似たような発言。
すげーイライラする。
自分が何で怒っているかを伝えられなかったこと、彼らが怒っている人を嘲笑していること、この二つが腹立たしい。
いや、腹立たしいという言葉ではない、うまい表現ができずさらにイライラする。
マガジン9の第119回:「戦う覚悟」を強要する政府~麻生発言に揺れる沖縄(三上智恵)を読む。
麻生は発言を撤回するのか。
あいつは撤回しないだろうな、口が曲がっても撤回しないだろうな。
会社で梨を2個もらった。
家まで持って帰ろうと思っていたが腹が減ったので会社で食べることにした。
1個皮を剥いて終わりにしよう思っていたが結局2個皮を剥いた。
すげーおいしくて一瞬で2個食べた。
夕飯前に腹が膨れてしまった。
Samejima Timesの「立憲野党私設応援団〜憲法9条変えさせないよ」の連載に「この割れ切った世界の片隅で」というnoteの記事へのリンクが載っていたので読んでみた。
「世界の片隅」という言葉がずんと来る。
最近のモヤモヤの正体が分かった。
モヤモヤしていたのだが、何故モヤモヤするのかがわからなかった。
でもなんでモヤモヤしているのかがわかった。
モヤモヤは消えてないけど。
電車の中で先日買った岩波の世界8月号を読む。
安田菜津紀の記事(2002年頃の北朝鮮の拉致問題を報道するテレビに対して書いた部分)で下記の一節があった。
植民地支配という歴史的な文脈が、まるでなかったかのように切り離され
安田菜津紀 (2023). 父はなぜルーツを「語れなかった」か 世界(岩波書店), 2023年8月号 63
その空気みたいなものは20年経った今も続いちゃっている。
そう、「歴史的文脈が無かったように切り離されちゃっている状態」で適当な事を言っている人たちが多すぎやしないか。
当時よりもそういう人たちは確実に増えているように感じるよ私は。
スマホで筆者を検索してみた。
Dialogue for PeopleというNPO法人の理事のようだ。
サイトのニュースが結構面白い。
世界に連載を持っているのだろうか、スポットの記事なのか、雑誌を読んでもよくわからなかった。